それでも人は手を握る 円山すばる
ここは神が見守る天の国。
俺は一度死んだ、元人間だ。
死んでからのことはショックでよく覚えていない。ただ初めて天の国に案内された時思った感想というか、困惑はよく覚えている。『なんか滅茶苦茶だな』と思ったからだ。後から天使とかいう羽の生えた謎の連中に、この天の国は人間のためにあるので、人間の想像力、イメージの力で出来ていること。様々な宗教観を持つ連中が集まっているから、彼らのイメージでどんどんこの土地の恰好も変わっていっているのだ。と教えられた。そんなのありなのか? と思ったが、俺は考え直した。この天の国とやらは俺のイメージでもあるのだから、極楽を知らない俺の想像が混じっていて滅茶苦茶になっていても不思議ではない。
とにかく俺はその時、生まれ変わろうと思っていた。こんな所にはもう一刻も居たくない。
生まれ変わる、といってもやり方は簡単だ。その気になったら天の国の役場の『輪廻転生窓口』に申請をすればいい。そういう仕事をしている天使たちが居る。特に難しい修行なぞは必要ない。ただしこの場所に居た記憶や、生まれ変わる前の記憶は消えてしまうので、それだけに留意すればよし。随分と簡単で都合がいい。だが、そういうものなので仕方がない。
イライラするほど踏み心地の良い雲の大地の上。嫌になるほど美しい青空の下で一生懸命に仕事をしている『輪廻転生窓口』の担当天使が、何かを、仰々しく長い地べたまで垂れている用紙に刻んでいる。その使者の前に並びながら俺は考えていた。ああ、タバコが吸いたい。
「やあ、君も生まれ変わりに来たのかい。」
背後から話しかけられる。生前のクセで臨戦態勢で振り返ると、肌の白い調子に乗った赤毛の男が朗らかに手を振っていた。それを見て見て酷く嫌な気分になり、振り返ったことを後悔した。俺が生きていた頃、周囲にふざけたやつは居なかった。そういう奴から死んでいったからだ。
「うーんこれは……だめですね。」天の国の死者が言った「すみませんが少し時間がかかりそうです。ちょっと今、天の国の端末のサーバーが落ちていましてね。紙で、と思ったのですがアカンですわ。お二人とも、どこかで遊んで待っていてくれませんか。後で呼びますので。」
天の国とやらはのんびりしている。俺が生きていた場所でこんなに全員がのんびりしていたなら部隊長にぶん殴られていただろう。こんな時にタバコがあればいいのに、天の国にタバコはない。地獄にはあるのだろうか。地獄はそもそも存在するのだろうか。ため息が出る。
俺はそんなことを考えながら当てもなくその辺りへ繰り出す。後ろに居た赤毛の男が、なぜか俺の後にずっとついてきた。
「おい、」俺は振り返り睨みつける「何でついてくるんだ。」
「きみ、元少年兵だろ。」
明け透けな言い方に驚いた。どうして、と俺が睨みつけると男は肩をすくめて微笑む。
「わかるんだ。僕は君のような人間をたくさん見てきたからね。」
蜜と乳の川の傍にでも言って話さないか。と言い男は歩き出す。俺はいつでもその男を口封じ出来る姿勢を取りながらその男につき、もうこの場所ではその必要もないのだと気づいてまた虚しくなった。天の国役場の近くの蜜と乳の川はあまったるい香りがして、泥水の流れる川しか知らない俺には、違和感しかなかった。天国は人間のイメージで出来ているという。つまり人生でこういうことを考えていたやつがいるということ。それが恐ろしくもあった。
「君、みたところ新入りだね。」赤毛の男が云う「ここには来たばかりだろう。」
俺が黙りこくっているのを見て赤毛の男はうそぶいた。
「もう君の人生は終わってる。ここには攻撃してくるような奴は誰も居ない。いい加減その魂の武装を解除しても大丈夫なんじゃあないかね。」
赤毛の男がぐるぐる回す両手から目をそらす。俺はそれでも、ここにずっと居たいとは思えない。
血と硝煙の臭い、それから痛み。生きている頃はそれが俺の知っている全てだった。生きていた頃、俺はきな臭い土地で生きていた。生き残るために生きる。そういう人生だった。大人からは、俺の親は俺を育てきれなくなって売ったのだと聞かされた。そういう子供は俺のほかにも沢山いて、俺はそういう奴の人生を沢山見つめて来た。俺は銃を扱えたから運がいい方だったが、連中の一生についてはあまり思い出したくない。そういう環境だったから俺の相棒は銃だけだった。俺は銃しか信用できなかった。そういう暮らしをする子供を他所の土地で少年兵と言うのだと、俺は死んでから知った。
少年兵、ふざけた言葉だと思ったが、俺は少年兵として生き、少年兵として死んだ。
「私はとある国のスパイだった。」男は聞いても居ないのに語り始めた。「驚いた? ジェームズボンドとか、映画でカッコイイイメージあるけど実はスパイって僕みたいな奴が多いんだよ。何処にでも居そうな顔で、背格好の目立たない奴がね。」
男はやわらかな雲の地面をなでながら呟く。
「だけど、僕もきっと君のような生い立ちだったと思う。においでわかる。」
「俺は、映画なんて見たことない。」
男は俺がぶっきらぼうにそう言ってもにこやかだった。
「しかしどうして、天国に来てすぐに、生まれ変わろうと思ったんだい。」
「おまえはどうなんだ。」
「僕は……。」
「ぬるま湯生活には飽きたってか。」
「うーん、君のことを教えてほしいな。」
「なぜだ。聞いてどうする。」
「生まれ変わったら君を探しに行きたいから。」
「……はあ?」
男はニコニコ笑って、思わず顔をしかめる俺にとつとつと過去を語り始めた。
「生きていた頃に憧れていたことがあったんだ。だけどそれは叶えられなくてね。子供のころから施設で、色々なことを叩きこまれたよ。自由なんてなかった。友達も居なかった。だから生きている頃はいつも、生まれ変わったら友達が欲しいと思ってた。まあ、かなわなかったんだけど……けれど、」男は手元を見る「たとえば文通をするとか、時々絵手紙を送り合うとか……そういう暮らしに憧れていたんだよね……くだらないと思われてもそれは僕にとって、どうしても叶えたい夢だったんだ。」と男は遠い目をして言った。
俺はふと肩の力が抜けるのを感じた。もう闘っても意味が無い、という事実を受け入れるとはこういう事なのだろうか。なんだか酷く……虚しい気分だ。
「俺はきっと地獄に落ちる。そう思ってた……だけど何でかな……どうしてここに居るのか俺にはわからん。俺は人殺しなのに。」
ため息をつく。
「……この土地? にいる連中は価値観がその……きれい過ぎるんだ。俺は馴染めない。詩を読みましょうだの歌を歌いましょうだの誘われたが、俺にはわからん。俺は歌なんて歌ったこともない。花畑なんて初めて見たもんだから踏んだりしたし……そのたびに連中は俺を憐れむような目で見る……俺はもう耐えられん。俺は俺の居た場所に帰りたい。」
一度堰を切るようにあふれ出た言葉はもう止められなかった。
「ここに居ると、酷く惨めな気持ちになる。」
隣の赤毛の男も押し黙ってしまった。俺たちは暫く、そうやって暗い気持ちで川を見つめていた。この天の国に夜はない。それすらも俺には落ち着かない。
「君は」隣の男がつぶやく「人がどうやって生まれ変わるか、知ってるかい。」
「……そうだな。」俺は地面の綿みたいな雲を一つちぎって川に投げ入れた。「死んだ日に、そんな話をしたな……どんな奴だったっけ……何かめずらしく赤毛の……変なやつだった気がするな……人質のことなんて、対して覚えてないからな……そもそも死んだときの記憶があいまいだが……。」
「作戦途中だった?」
「ああ……そんな夜だった……。」
そう。あの夜、俺は徹夜で命令を待っていた。人質を取り身代金を取るという作戦に参加していたと思う。しかしその施設ごと爆撃……? そうだ、俺たちは爆撃されて死んだ。その時、人質が……ええと……人質はどうなったんだっけ……。
確か、俺は人質を監視する役だった。その人質はスパイか何かで、やたらおとなしかった。
何だろう。自分の死を悟っている。自分は死ぬ。そういうことを受け入れてるような……そんな奴だったような気がする。だけどやたら俺のことを気にかけてくるから……不気味だった。そうだ。そいつと少し話をしたんだ。
『ねえ、君は産まれてくる前のことを覚えているかい。』
はあ? と思って俺は首を振った。アイツは覚えていると言った。
『僕はね、天国で天使に背中を押されて母さんの腹に入ったんだ。』
よくわからないが、嘘をついているようではなかった。スパイのくせに嘘つかないのかと聞くと、そいつは苦笑した。『もう、嘘をつく意味もない。』『君を巻き込んでしまって、本当にすまないと思ってるよ。』
そしてそいつは、俺に手を伸ばし、俺の血と硝煙のする手をその傷だらけの手で包んだ。俺の手を握ったんだ。そして……。
俺ははっとして顔を上げた。隣でふさぎこんでいた赤毛の男が居なくなっている。俺は天の使いの所に走っていった。そいつは丁度、『輪廻転生窓口』の担当天使の前に居て、連れて行かれるところだった。
「おい、待て、おまえ!」俺はそいつの胸ぐらを掴んだ「あの時俺が人質にしていたスパイだな、おまえ、そうなんだな?!」怒鳴りつける俺を前に天使たちが戸惑っているが気にしない「あの夜、建物に爆撃受けて俺たちはみんな死んだんだ、おまえは……おまえは俺と仲間を道連れにした!」
男は何も言えない。
「おまえは、自分が爆撃で、任務で死ぬことをわかってて、それでも受け入れたのか、死を!」
「自由になりたかった。」男はつぶやいた「だけど君を巻き込む気はなかったんだ、だから……こんなところまで君を連れてきてしまった……すまない……。」
気づくと、俺がさっきまでいたはずの天の国が、景色が全て、ふっと消えてしまった。天使も誰も居ない。乳と蜜の川もない。代わりに俺たちは、何かの乗り物に乗っていた。薄暗くて、木のにおいがして、ガタゴトと揺れている。これは鉄道というものだろうか。ただ只管に戸惑う。
俺の姿は死んだときと同じ地と硝煙のにおいの染みついた服装だった。俺たちは生きていた頃のようにホコリまみれだった。ただただ驚いていると、男は言った。
「ここは、私の想像の世界だ。君はあまり、イメージすることが得意ではないようだから……だけど、落ち着くだろう? 好きなんだ。こういう質素な鉄道の座席に座ることが。」
「……どうなってるんだ?」
「私にもわからない……死んだとき何かがやって来て……そいつに向かって散々文句を言ったらチャンスを与えられた。それしかわからない……。」
「俺をどうする気だ? 俺に何をさせたい?」
「いや、その……もし、生まれ変わったら……手紙でも交換しないか?」
「……はあ?」俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
「ずっと夢だったんだって、さっき話しただろ。友達が欲しいんだ。時々手紙を交換したりポストカードを送ったり……ずっとそういうことがしたかったんだよ。」
「おまえ……でも俺は……前世の記憶なんてちゃんと持ってないんだぞ……おまえのことも生まれ変わったり? したら、忘れちまうんじゃないか?」
男は笑った。
「やっぱり君はいい子だ。君と文通がしたい。僕は生まれ変わっても、きっと君のことを見つけるよ。」
「何言ってるんだ、そんなこと出来るわけないだろ……。」
「信じようとは言わないけれど……だけどさ、それくらいの願いが叶えられてもいいと思わないか? 僕たちは、一生懸命生きたんだから……もう一度誰かの手を握ったってさ。」
男は自分のやりたいことを曲げる気が無いらしい。俺はなんだかすべてがもう馬鹿らしくなってしまって、席に沈み込んだ。男が小指を立てて差し出してくる。
「じゃあ約束をしよう。こうやるんだって、前に教えてもらったんだ。」
言われるがままに小指を差し出し返すと、小指同士を絡ませられた。驚いていると男が異国の言葉で何かをうたった。その瞬間、何らかの音楽が流れて来た。男はそれをなんとかの曲だね、と言った。鉄道の窓の外をふと見たら、金色の穀物の畑が一面に広がっていた。光があふれていた。ああ、いい景色だ。いい曲だ。俺、ここで降りたいなあ。そうつぶやくと、光がぱっと鉄道の何もかもを包み込み……それからのことはよく覚えていない。
令和七年。日本。七月も後半になり、今年も夏休みがやってきた。
俺はクーラーの利いた自分の部屋で宿題を片づけていた。今日はとても暑くなるらしいから、宿題を終わらせようと思ったのだ。昼ごはんの時に一階でじいちゃんたちが昔の夏はもっと涼しかったが暑すぎて出られないと嘆いていたっけ。昔はこういう暑さではなかったのだろうか。俺はよくわからない。しかしそのせいか俺のためにじいちゃんや家族はとてもよくしてくれる。ゲームを買ってくれようとしたり、水族館に連れて行ってくれたり。みんな優しい。
前世のことを思い出すと天国のようだと思う。そう、俺には前世の記憶がある。
ふと母さんが扉から顔を出した。おやつがあるという。
「また根詰めて勉強していたの? お母さん心配。」
母さんはとてもやさしいが心配性だ。いい母さんだ。母さんを心配させたくない。けれど、俺にはやりたいことと、果たさなくてはならないことがあった。
「とりあえず英語が喋れるようになりたいんだ。次は中国語だろ、それからドイツ語も。そのためにはたくさん勉強しないと。」
「お母さん、よくわからないのだけれど……あなたがやりたいなら応援するわ。だけど無理はしないで。あと変な人とは絶対に話したり、ついていかないこと。」
「うん……でも、これは約束だから。」
母さんはふと自分のお腹をさすった。母さんの癖だ。
「そういえば、ずっと昔からあなたは不思議な子だったわね……約束を守りたいって、そればっかり……手はかからないから助かったけど……けれどお母さんたちにもう少しわがままを言ってもいいのよ。」
俺は母さんと階下に降りていく。おやつはスイカだった。
「大丈夫だよ、母さん。」俺は笑う「俺はその……ここが好きだからさ。」
不思議なことをいう子ね、とつぶやき笑っている母さんに、俺は打ち明けることはできなかった。前世では少年兵でしたなんて言ったら、母さんは卒倒してしまうだろう。その上、前世で俺を道連れにしたあの男ともう一度話がしたいなんて思っていると知ったら……その先は想像できない。だからこれは俺だけの秘密だ。
「英語ってむずかしい。」俺は甘いスイカをかじる「日本語と文法が違うから頭が滅茶苦茶になるよ。」
「そうねえ……そうだ、いいこと思いついたわ。英語のALTの先生に相談して文通相手を探してもらうのはどう? 勉強にもなるし、先生の紹介なら安心でしょ?」
文通という言葉が出て来て、俺は驚いてしまった。だけどすぐに頷く。
「そうだね、夏休みが終わったら相談してみるよ。」
甘いスイカ。クーラーの効いた部屋、暖かい家族。
それがあの、名前も知らない男の元にも今、あることを願う。アイツは友達が欲しかったと言っていた。この世のどこかに居るであろうアイツのその願いが今、かなっていて、幸せな生活をしてくれていたらいいなと思う。もし再会できたら俺はきっとあいつの手を握るだろう。あいつが前世で死ぬ直前、俺の手を握ったように。人は何もかもを失って、それでも誰かの手を握るのだ。俺はそれを知っている。あいつもきっと覚えているだろう。ならばきっと俺たちはもう一度会えるだろう。
了
小説大好きぺんぎん系VTuber 天野蒼空様 主催
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