『踊るよ。』chapter.5 -01

01.ガソリンスタンドにて

  スタンドにはサツキさんが居た。タオルを干していた手を止めて手を振ってくれる。
 車が止まったので出ていこうとすると、クリス氏が給油口のハッチを開かせながら言う。
「不思議だな。あんたといると言葉がスムーズに出てくるよ……きっと、あんたみたいな奴が上に居たら、組織も円滑に回るんだろうな。」
僕はしばらく考えて、考えるのをやめて車から降りた。
「……そういうことを言われたのは、今日で二度目だよ。」 

 サツキさんは何事もなかったかのようなクリス氏と話をしながらテキパキと給油を始めた。
「暮らしはどう? 小説は書けた?」
「……うん……。」
「元気無いじゃない、どうしたの?」
サツキさんは丁寧にガソリンを給油し、給油口とハッチを閉めて会計伝票を取りに行く。
 そう、げんきがないかもしれないね。僕の心には、もういっぱい傷ができてる。
 そんな心の裏側を直視するのは、辛いことだ。だってみんな、傷を隠してる。

 そうして僕が地面のシミを見つめ、サツキさんが建物内のレジで領収書を切っているときだった。サツキさんのガソリンスタンドにものすごい勢いで車が走ってきて、すごいドライビングテクニックでその車はすっと、美しく荒野のガソリンスタンドに停車した。
 大きな高級車だ……それが誰か、なんて見ないでもすぐわかった。
 中から運転手が一人おりてきて、やっぱりうやうやしく扉を開ける。父さんが出てきて、僕と向き合った。サツキさんがスタタとやってくる。
「いらっしゃいませ~!」
「満タンで。」
サツキさんは車を見て、首を傾げた。
「これ電気自動車じゃない?」
「……そうなの?」
そう言われると運転手さんは「左様でございます。」と静かに答えた。
「電気はあるの?」
「うちはガソリンだけよ。」
あー……と、精算した書類をファイリングしながらクリス氏が助け舟を出す。
「すみません、この町では、あまり電気自動車は使われないんです。この荒野では馬力が出ませんし、修理も容易ではないですし、高額ですから……。」
「……そう……。」
父さんは逡巡し、運転手さんに何事か指示を出す。彼はそれに従って、車を出してどこかへ走り去っていった。
「ちょっと休憩したいんだけど、飲み物か何かある?」
「コーラなら。」
「それでいい。4人分買う。」
サツキさんはタタタと室内に戻っていく。父さんとサツキさんを追いかけて、僕ら二人もガソリンスタンド内に併設された休憩所へ向かった。
 ここ、ちゃんとした椅子とかないけど、大丈夫かな……。そう思っていたけれど、父さんはサツキさんが4人分の瓶コーラを取り出してテキパキと拭き、王冠を開けるのをただ何も言わずじっと見つめていた。
「どうぞ。残り3本は袋に入れますか?」
「いや、君たちで飲むといい。」
「え?」
「私の奢りってこと。」
父さんはそう言うと、コーラの代金にしては莫大すぎるお金をぼんと置き、コーラの瓶を持って一口のんだ。うん、と頷く。
「何があっても、コーラの良さは変わらないな。昔と同じ味がする。」
「お代が多すぎるよ?」
カウンター越しに、父さんはサツキさんに微笑みかけた。
「チップってやつだよ。」
はあ……どうも。と言ってサツキさんはそろそろとお金を受け取って、慎重にレジにそれを仕舞う。父さんはそれをなんだか愛おしそうに見ていた。
 心が、ひっかかれてまた暗い気持ちになる。
「今日は殴りかかってこないんだね。」
「今日はおじいちゃんいじめてないから。」
「いつもいじめてないよ。」
「うそ。あなたが来るたびおじいちゃん、飲めもないお酒を飲んで泣いちゃうのよ。寝かしつけるの大変だし、こっちまで悲しくなってくるよ。言いたいことがあるならちゃんと話せばいいじゃないのよ。なんで話せないの。」
……はは、と父さんは乾いた笑いをこぼす。
「そうだな。君みたいに素直になれたら、良かったのかな。」
ふと、父さんが背中を向けたまま僕に話しかけてきた。
「……で?」
今日は随分優しい説明責任の求め方だ。僕は癖で背が伸びてしまうのを感じる。それを少し誤魔化すように咳払いした。
「正直、いま僕は、僕のことよりイーファンが心配。本当だよ。」
父さんは、僕に背中を向けている。
「ずっとイーファンは父さんの命令で僕のそばにいるのだろうから、イーファンだけは自由にしてあげてほしいと思ってた。彼女は僕の大切な友達だから、傷つけてほしくなかった。だけど、イーファンは自分から命令を齟齬にしたと言った。父さんも知っての通り、警備のあの本部長は頭が硬いパワハラ野郎クソ野郎だから僕はイーファンに何されるかって心配でたまらない……。だけど、それは僕の覚悟で、超えていかなきゃいけない。だってこうしているのは僕のワガママだから、」
父さんは一口コーラを飲む。
「僕のワガママのせいで、イーファンだけじゃなくて父さんにも藻草さんにも、町の人にもきっと迷惑がかかってる……いつかはイーファンとここを出ていかなきゃいけない……ここは僕の居場所じゃない。だから、完全に僕のワガママだ。」
父さんは何も言わない。
「昨日の晩、2作目を書こうとした、だけど途中まで書いてゴミ箱に入れちゃった。今日の朝、診療所の彼に『お前は書くより、書く人を支えるほうが合ってるんじゃないか。』って言われて、そうかもしれないと思った。」
それでも、と僕はかぶりをふる。
「僕はそれでも、書きたい。藻草さんは関係ない、僕の決めたことなんだ。」
父さんがつぶやく。
「……あいつがそこまで心を開くなんてね……。」
コツンと、静かにコーラの瓶をカウンターに置く。
「理由はわかった。けれど、わかるわけにはいかない。」
父さんは静かなため息を付き、サツキさんに手を振りながら歩き出す。
「歳取ると多く感じるね……ごちそうさま。」
3分の1ほど残ったコーラを残し、父さんは室内を出ていった。すぐに車がやってきて、その扉が開かれ、父さんの乗った車は去っていった。
 すっかり嵐が去って行ってしまってから、クリス氏が深い深い溜め息とともに壁際の小さな椅子に縮みこんだ。

つづく

タイトルとURLをコピーしました