『踊るよ。』chapter.4 -02

02.彼との約束

 ガタゴトと軽トラックが走ってくる音がした。車庫に駐車されるそれを、僕は眺めるでもなく眺めていた。だけど次第に辛くなってきて目を逸らしてしまった。どんどん落ち込んできて、髪の毛に手を突っ込んでしまう。
 藻草さんはいくつかの仕事用の荷物を整理しているようだった。ふと玄関の扉が開く。イーファンが「おかえりなさい。」とか挨拶をしていた。藻草さんが口を開いた。
「……帰るんですか?」
帰る? 顔を上げると、イーファンはスーツケースを横に持ち、きっちりとスーツを着込んでいた。僕なんかスラックスにシャツにカーデガンなのに。イーファンは申し訳なさそうに僕を見やると腕時計で時刻を調べる。
「……ええ。」
え? 帰るって、どういうこと? と言おうとした途端、丘の下の方から車の音が響いてきた。すごい速さでそれはすっとんできて、ザザーッと海野家の庭を荒らしながら止まる。真っ赤な車。父さんの車だ……。
 すっと、一人のボディーガードが降りてきて、恭しく後部座席の扉が開かれる。父さんの靴のヒールがガッと地面をえぐった。
 父さんは、いつもと変わらず派手だった。まっすぐにツカツカと僕の座るブランコのところまでやってくるとこう告げた。
「いい加減、帰るよ。」
僕は動かなかった。黙って父さんを見ていたら、父さんは怒った。
「お前ねえ! いつまで我儘言って、迷惑かけるつもりなの!」
「だって僕……まだ藻草さんとの約束を果たしてない……。」
「約束?」
今度はぼくがむっとする番だった。
「どうせ知ってるんだろ、盗聴器、いつも仕掛けてるくせに。」
もっと怒ろうとした父さんは、はっとして家の入口の方を見た。はじめて、そこに藻草さんが居ることに気づいたようだった。
「あ、」
「も、」
二人は同時に話そうとして、口ごもった。気まずい沈黙が流れる。僕は父さんがそんな風になるのを、見たことがなかった。
 父さんは藻草さんを直視できないようだった。目が揺らいでいる。まるで直視すること、それこそが罪深いことだと感じているような態度だった。そんなふうに父さんが他人を扱うところを僕はやっぱり見たことがなかった。そして藻草さんもまた普段以上に遠慮がちな態度なものだから、見ていてなんだか不安になった。
 当たり前だけど、僕の知らないことがある。その事実に心がなんていうか、暗くなる。
 出し抜けに父さんが言った。
「あの子たちは……元気かい、」
徐に藻草さんが顔を上げる
「『あの子たち』……?」藻草さんは父さんを睨みつけた。すごく怖い顔で。
父さんは、僕が見たことのないようなうろたえ方をした。ほんのかずかだったけれどそれは明らかに狼狽えの表情だった。
「光のことをありがとう。いい加減連れて行かないと……じゃ……。行くよ、光、イーファン。」
イーファンが2人分の荷物を持ってついていこうとする。が、僕は動かなかった。父さんが立ち止まる。
「僕は、行かない。」
父さんは振り返らない。怒ってるんだろうなと思う。父さんはこういう性格だから、きっとすごく今イライラしているだろう。
「行かない。いま、決めた。今自分で決めた。僕、まだやり遂げてないんだ。藻草さんと約束したこと、知ってるよね。」
「おまえ……、」
「どうせ僕なんて居ても居なくても一緒だろ。だったら僕なんて放っておいてイーファンと一緒に帰ればいい。イーファンには、無理させたくない。」
僕は彼女の方を見やって、声を掛ける。
「イーファン、もう父さんにレポート送らなくていいから、都会に帰りな。君は君の人生を歩むといい。」
「……!」
泣きそうな顔をするイーファンを僕はわざと突き放す。本当はとてもつらいけど、そうしなきゃいけないから。
「僕の相手だってもう飽きただろ。君と居られて楽しかったよ。」
荷物をドサと落とし、イーファンは振り返る。顔が真っ青だ。
「……!」
声にならない声を出している。
 どうしてそんな顔するんだよ……。
 そこで、藻草さんがぴしゃりと言った。
「そこまでにしなさい。」
そして僕の方へやってくる。
「光さん。あなたちょっと言い過ぎです。会長、あなたは突然すぎます。」
「そんな、」
僕がそんなことはないと言おうとしたら、藻草さんは容赦なく言葉をかぶせる。
「光さん、あなたはもう少し周りを見て行動なさい。それから、忍耐と落ち着きをお持ちなさい。立ち向かうにしてもやり方があるでしょう。上手な闘い方を身に着けなさい。それにはまず観察からです。会長、あなたは息子さんから逃げすぎです。」
思わずえっと声が出そうになった。藻草さんは父さんに続ける。
「お気持はわかります。子育てをする中で、子どもに嫌われて、それでも道を示してこそ親だと言えるのだと私もそう思いました。そしてそれがどんなに難しくて苦しいことなのかも嫌になるほど感じました。だからこそ言わせていただきます。あなたは、息子さんと正面から向き合うべきです。」
ハッキリとした意見に、父さんは淀んだ声を出す。
「……うちの倅は、何もできない子だ、目標も夢もやりたいことも何も無い子だ。これ以上ここで小説家志望ごっこなんかさせて何になるんだ、」
「いいえ。何もなくなんかありません。彼には、たとえ曲がっていてもそんな自分を直視しようとする勇気があります。あなたはどうなんですか……静さん。」
父さんは藻草さんを見て目を見開いた。手をぎゅっと握って、黙り込んでしまう。
「わ……、」
父さんこれ、爆発するんじゃないか……?
「私だって……!」 
 みんながそう思った、そんな時だった。僕の上の木が、がさりと揺れる。
 
「ふンニャーッ!!!」

奇声とともにサツキさんが木から降ってきた。いや、本当にもう降ってきたとしか言いようがないんだけどとにかく木から降ってきた。彼女は鉄パイプを持っていた。
「な、何?!」
 彼女は一回着地してから父さんに殴りかかった
「フガヤアアアア!!」
 が、父さんはその鉄パイプを片手で押さえつける。サツキさんはギギギと音を立て、恐ろしい表情で父さんを睨んでいる。父さんは余裕の表情(とはいっても顔色悪いけど)でそれを押さえつけながら、サツキさんと向き合う。
「サっちゃん~! まってぇ~……!」
遠くからゼェゼェと息を切らせながらクリス氏が走ってくる。もうなんか可哀想なくらい疲れている。父さんとサツキさんはすごい表情で睨み合っている、僕は困惑してイーファンを見やるが、イーファンもビビり散らかしていた。
「サツキちゃん、やめなさい! どうしていつもいきなり殴ろうとするの!」
藻草さんがそんなことを言うとサツキさんは怒鳴る、
「だっていつもおじいちゃんいじめるんだもん!」
「いじめてない。」
父さんはそう言うと、あっさりと鉄パイプを奪って、遠くにひょいと放り投げてしまう。
「あーなにするの!? ちょうどいい棒だったのに!」
「な、ば、もう、体力の化物しかおらんのか、この家は、はぁ、はぁ、」ゼェゼェと息を切らしながらようやくやってきたクリス氏は、なおも果敢に父さんに立ち向かっていくサツキさんを、やめなさいよ! と言いながら父さんから引き剥がした。
 僕はようやく口を開く。
「どういうこと? サツキさんとクリス氏、父さんの知り合いなの?」
「知り合いも何もこの人時々来るけど?」
「なんで?!」
「なんでってこの人、来るたびにおじいちゃんをいじめて」
「アアー!もう言わんでよろしい!!」
藻草さんが突然大声を出した。なんか真っ赤になってる。
「もう用は済んだでしょう! 静さん、もう帰ってください! サっちゃんも喧嘩は止めなさい! やだもう手が鉄臭くなってるじゃないですか、はやく手洗い! クリスはちょっとイーファンさんを見てあげて! 光さんもさっさと動く! もう夕飯の準備をしないとなんですから!」
僕はブランコから立ち上がったがしかし、聞きたいことが山程あった。
「ねえ、サツキさんとクリスさんは父さんのこと知ってたの?! 知り合いだったの?!」
「父さん? あのよく来るおじさんは光のお父さんなの?」
「よく来るおじさん?!」
「うさんくさいのよね。」
「うさんくさい?!」
「おじいちゃんをよく泣かせるし、」
そんなことをしている間に父さんは適当に指示を出し、車に乗り込んでしまった。僕は父さんを追いかける。
「お、おいこら! 待ってよ! 聞きたいことが山ほどあるぞ?! いま山程できたんだけど?!」
しかし父さんの乗った車は容赦なく砂埃を立て、発進して遠くに行ってしまう。
「逃げるな!!」
ぽかんとしていたイーファンが我に返って僕を引き止める。
「ひ、ひかるさん落ち着いて、」
「落ち着いていられるか! この……このボケナスー! ゲイのサディスト! ばかーッ!」
そしたら、後ろから頭をべしんと叩かれた。
「こら! 近所迷惑でしょ!」
藻草さんだった。思わず冷静になり振り返ると藻草さんは怒りながら家に戻っていった。
「……イーファン……知ってた?」
イーファンはえ……? と一瞬固まって、すぐにブンブン首を振った。そうか……。そう思いながら僕は頭をガリガリとかいた。
「ああ、なんか一周回って腹たってきたわ……。」

つづく

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