『踊るよ。』chapter.3 -04

04.Look at me.

 その晩、海野先生の帰りは遅かった。帰りが遅いですとか、出かけるときは言ってくださいとかイーファンに叱られたり食欲がないままなんやかんやと夕食を食べたりしても、それでもずっと海野先生は帰ってこなかった。
 この町の夜は冷える。雰囲気がなんとなく悪いのを感じ取ってくれたんだろう。冷える夜はみんなでゲームだ! とかクリス氏が言いだして、どこからかでっかいボードゲームを持ってきた。気を遣っているのがバレバレだったけれど、とにかくそれに乗っかって4人でゲームに興じた。一回りが長いゲームだった。3周目が終わったとき、サツキさんは疲れてクリス氏の肩にもたれてうとうとし始めてしまう。イーファンがホットミルク、作りましょうか。と言って席を立つ。僕も席を立ち、なんとなく玄関に向かった。
 大地は、しんとしている。まるでどこかに隠している大切なものを人間に見つからないようにしているみたいだ。僕は柱にもたれかかり、空を見上げる。広がるのはあのビルの合間から見上げるような薄い色の青空ではない。
 ふとサツキさんの言葉を思い出し、それから思った。僕の悩みなんて大したものじゃないのかもしれない。
「夜空……きれいだな……。」
いつまでも抱えていても仕方のないこともあるのかもしれない。サツキさんはここに居てもいいと言ってくれた。だったら、それでもういいじゃないか。こんなに広い世界を見てるのに、こんなに広い空があるのに、僕はあんなこと考えていただなんて……。
 僕はもう、無力な子どもじゃないし無力な子どもでもいられないのに。

『一生認められない人もいる』

 僕、
 僕は……。

 息が白くなるのも構わず僕はずっと空を見上げ、悩んでいた。ずっとそうしていると白い軽トラックが坂を上って来た。すぐに運転手は上向きにしていたライトを下向きに戻し、ガレージの近くにザザッと止めた。中から彼が車から下りて来て僕にすぐに歩み寄って来る。
「あ……おかえりなさい。」
「……あなた、襲われますよ?」
「大丈夫です。イーファンは分ってると思うから。」
「そういうことではなくてですね、」
「藻草さん」
僕は、意を決してその名を呼んだ。それは、僕の決意だった。
 驚いているのか何なのか。藻草さんの顔は暗くてよく見えない。
「聞きたいことがあるんです。聞いてもいいですか?」
藻草さんは少し身じろぐ。しかし、拒絶はされなかった。
「僕は、自分に足りない物があると思うんです。だから小説を書けなかったし……色々と、見落としていたことがあったと思うんです。仕事も、生活もそうだと思う……うん……僕の人生には決定的に足りないものがある。だけどそれが何かわからないんです。僕一人の脳みそじゃ、答えを出せないんです……。」
藻草さんは逡巡、目をそらす。
「……ごめんなさい。」
冷えるから戻りましょう。そう言って僕は家に戻ろうとした。しかし藻草さんは言った。
「観察。」
振り返ると彼もまた玄関に入ってこようとしていた。ドタドタと家の中から走ってくる足音がするのは、サツキさんたちだと思う。
「観察は、全ての要です……。私はそう教わりました。」
そういうと藻草さんは玄関を開けて僕をそっと中に入れた。サツキさんとクリス氏がやいのやいのやりはじめる。クリス氏が心配していたこととか、連絡位入れてくれとかそういうことを言い、サツキさんがボードゲームをしていたことと今日の夕飯はカレーだったとかそういうことを言い、イーファンが僕の様子を見に来て玄関はわちゃわちゃになった。
 観察、観察は全ての要、か。
 みんなにもみくちゃにされながら、僕も靴を脱いで暖かい家の中に戻ったのだった。

 次の日の朝。僕は早起きをしてイーファンとクリス氏とお弁当を作っていた。
 昨晩、僕から手伝いたいと言ったのだ。イーファンとクリス氏ははじめこそ戸惑っていたものの、経験になるでしょうと了承してくれた。
 僕は明らかに足手まといになると二人は分っていただろう。なんせ僕は包丁も持ったことが無いのだから。朝の時間なんてただでさえ貴重である。それでも、二人は『明日はスープジャーにスープも入れよう。』という提案をしてくれた。
「猫の手ですよ、光さん、猫の手キープです!」
「う、うん……!」
クリス氏がてきぱきとその他のお弁当の中身の下ごしらえをする中、僕は一生懸命野菜を切っていた。最初はイーファンがお手本を見せてくれて、それを真似するだけなのだけれどこれがまた難しいのだ。僕は四苦八苦しながら野菜を切る。
「本当はじっくり煮込みたいのですが、今日は時短してチンしようか。」
「チン?」
「電子レンジ……も使ったことない?」
やがてスーパーで買って来た肉団子入りのおいしそうなスープが出来上がった。二人はそれをテキパキと連係プレイで、4人分のスープジャーに詰める。3つはもともとあったもの。1つはイーファンと僕専用の、ちょっとでっかいやつ。おいしそうなお弁当が出来上がってぼくは感動してしまった。
「で、できた……!」
「それはよかった。」クリス氏はニッコリ笑う「サっちゃん、お弁当忘れないでね。じいちゃんも。」
サツキさんはニコニコと嬉しそうに、藻草さんもほっとしたような顔で弁当袋を受け取ってくれる。僕は久しぶりに心が温かくなるのを感じた。
「じゃあ行ってくるねー!」
そうして3人とも出勤していった。後片付けをした後は街へ買い物に行くことになっている。僕とイーファンに藻草さんたちがお願いしてくれて、僕らは外へ出る用事を得た。とはいっても、イーファンに教えてもらわなければ店の場所も僕にはわからないのだけれど。
「イーファン、買い物の準備できた?」
「えぇ……でもそんなに急いでもまだお店が開いていませんよ。」
「そうなの?」
「この土地はゆっくりですからね……あら? クリスさん、自分のお弁当を忘れていったのね。」
見やると玄関の机の上にクリス氏のお弁当入れが置きっぱなしになっていた。

 それからしばらくして僕らは、坂の下の小さな町へと買い物へ出た。リュックを背負いながら、イーファンが言うところの過疎地の田舎町を眺め歩く。もうぼんやりとは歩かない。海野先生に教えてもらった『観察』について考えながら歩く。
 しかし、『観察』とは何なのだろう。これであってるんだろうか。もしかしてそれも宿題だったりするのか。
「光さん、ぶつかりますよ!」
僕ははっとして、眼の前の電信柱から飛び退いた。うわっ、とか声を出してしまったから恥ずかしくなって僕は赤くなってしまう。
 すると後ろの方から、アハハというあっけらかんな笑い声が聞こえてきた。
「あっ……!」
見るとそれは先日藻草さんと居たパン屋の女将さんだった。
「ぼーっとしてるとぶつかっちまうよ、気をつけな。」
僕が苦笑いしているとイーファンが自然に女将さんに話しかける。二人はどうも気さくな間柄なようだ。
「おはようございます、女将さん。後でまた寄らせていただきます。」
「いつもありがとね。買い物かい? 今日はその子も一緒なんだね。」
その子……? ああ、僕のことか……。やっぱりそんなこと思われるんだな、僕って。
「気をつけていきなさいね。あたしも配達に行かなきゃ。」
「おかみさんもお気をつけて。」
「あいよ、ありがとね。」
カラッとしているおかみさんはそう言って、また車にパンを積み込み始める。行きましょうかと言われ、僕はぐぬ……となりながらもイーファンと役場を目指した。

 町役場は街の中心にあった。すごく古くて、小さい、そっけないモルタルと建物。西部劇の時代から何も変わっていないんだけれども、修繕のために素人がそこにコンクリートやらなにやらを吹き付けたりした結果、誰も元の姿を覚えていない、四角くて古い箱ができた……みたいな建物。そんな印象を受けた。
「クリスさん、いるかしら。」
イーファンに続いて町役場に入ると、受付カウンターは2つしか窓口がなくてそのうちの1つは閉まっていた。その1つの机に座っていた年配の男性がふと顔を上げる。
「ああ、ワンさん。おはよう。今日も早いね。」
「おはようございます課長さん。お届け物をしにきました。」
親しげにイーファンとその課長さんとやらは話をしている。なんだか仲良さそうだ。そしてスムーズにお弁当を渡す。楽しそうに世間話もしている。どうも今、町長さんと海野クリス秘書係は会議中なんだそうだ。
「はい、確かに渡しておくよ。いつもご苦労さま。」
「なんかさ……、」
僕はちょっとムッとして言った。何らかの気持ちを感じるけれど何なのかわからない。
「イーファン、町の人達と妙に仲良しじゃない?」
二人は顔を見合わせ、そして吹き出した。イーファンはクスクス笑っていて僕はイーファンもそんなふうに笑うんだ……と、そんなことの方に目を丸くしてしまう。
「羽冠さん、ワンさんは此処にいらっしゃったときから献身的に働かれていて、」課長さんが言った「我々に気さくに接してくださいましたよ。手続きにも何度も足を運んでいただいたのに嫌な顔一つせず、街の人達への挨拶だって、」
「か、課長さん、あんまり言わないでください」
慌てて、隠そうとするイーファン。僕は海野先生の言葉を思い出した。
 観察、か……。
「……イーファン……僕……。」僕は足元を見つめ、それから顔を上げる「僕もいっぱい教えてほしいかも。」
それから、何かを言いよどみ、しかし飲み込んだ彼女が何を考えていたのかは、僕にもわからない。課長さんはそっと、背中を押すようにこう言ってくれる。
「この町の人たちは少しぶっきらぼうですが、誠実に接すればきっと良くしてくれると思いますよ。」
誠実、誠実さか。僕はお礼を言った。
 それから僕らはお弁当のことをまたお願いして今度こそ買い物に向かった。イーファンの話ではこの町にあるのはとても小さな、コンビニエンスストアのような大きさのスーパだけらしい。確かにとても静かな雰囲気の、こじんまりとした古びた店だった。
「もっと……大型の量販店が近くにできたりすれば便利になるのかなとか思ってたけど、最近じゃそうもいかないもんな……この町はこれでいいのかもしれない。」
「そうですね……大型量販店のせいで商店街が無くなり、商店街で働いていた人たちが大型量販店で生活を囮にされて馬車馬のように働かされる、なんてことはざらにありますし……この町の人たちはきっと選択ができる人々なのでしょう。それが正しい選択なのかは、まだわかりませんけれども。」
スーパーの今にも落ちてしまいそうな看板を見ながら二人でそんなことを喋っていると、中から怪訝そうに背の高い、店主の男性が出てきた。
「誰かと思ったら。隣りのは……連れか。」
「こんにちは。こちらは私の上司の羽冠です。よろしくお願いします。」
「!! 羽冠光と申します! いつも部下がお世話になっております!」
店主の男性は僕らをじっと見ていたが、ふんと言って中に戻っていってしまった。イーファンがかごを持って店に入っていくので僕はあたふたと続く。
 こういったスーパーマーケットみたいな店に入るのはほとんど初めてだ。僕は思わずキョロキョロとあたりを見回してしまう。店主の男性が不機嫌そうに言った。
「おぼっちゃんには物珍しいってか。」
「え、えっと……、」
僕はしかし、すぐに次の商品に目移りして興奮してしまう。
「あっ! ドーナッツだ、イーファン、ドーナッツがあるよ!」
「頼まれてるもの以外は買いませんよ。えっと……まず卵を買わないと……、」
「僕が持っていくよ!」
卵売り場に行こうとするイーファンが慌てて僕を止めた。マジの顔だった。
「光さん、卵はとーっても割れやすいんです。光さんはお金の計算をお願いします、電卓をお貸ししますので、」
「……イーファン……僕は学びたいんだ。」
僕は真剣だった。イーファンは あっ……みたいな顔をした。それから彼女は1つ謝って、僕にちゃんと教えてくれた。卵の選び方、殻が茶色いのと白いのがある理由。牛肉豚肉と一口に言っても種類がたくさんあるんだとか、大抵の家には肉を切るスライサーがあって、とか。今日はグラタンを作るから牛乳も買うんだとか、これを作るときはこういうものをいれるとか、だけど無駄遣いと食品ロスには気をつけないといけない、とか。
「いつもこういうことを考えて、みんな暮らしていたんだな。」僕は重たくなった食料品のカゴをイーファンの代わりに持つ「ここ3日くらいで僕がどれだけ世間知らずだったか思い知った。父さんのせいにするのももうやめないといけない……これは、僕の問題だから……。」
「……。カゴ、重くないですか。」
「結構重い、けど、頑張るよ。」
レジに向かうと、店主の男性が待っていてテキパキと袋詰めしてくれた。イーファンもテキパキとお金を払い、僕はうんしょとそれを持ち上げる。
「ちっと待ちな。」
呼び止められたとき、店主の男性がドーナツを1つ、袋に入れてくれた。
「えと……?」
「おまけだよ。」
イーファンが慌ててお礼を言っている。僕もびっくりしながらお礼を言った。
 
 二人して店を出る。次は診療所の薬局に行って湿布を受け取るらしい。藻草さんに頼まれているのだとか。
「イーファン、いつもこんなことしていたのかい……。」
「はい?」
「いや……僕は、君のことすら何も知らなかったんだなと思って……。」
「どうしたんですか、藪から棒に。」
「僕はあの都会が、会社が、僕の人生の全てだと思ってた……けれども、藻草さんに言われたんだ、観察がキモだって。重要なことなんだって。」
僕はふと空を見上げる。青くて広くて、今日も雲一つない。
「僕は……何も観てなかったんだと思う。」
「……そんなことは……。」
イーファンは口ごもる彼女、なんだかすごく変わったような気がする……なにか心変わりがあったんだろうか……。

つづく

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