『踊るよ。』chapter.3 -03

03.無力な子ども?

 
 悔しくて、悔しくて、悔しくて……
 どうにもできそうもなくて、
 どうしたらいいのか、わからなくて
 けれど考えることをやめたら、
 もうここで 死んでしまうような気がして。

 考えながらしばらく歩いて、歩いて、歩いていたら……だんだん寒くなってきていた。砂礫の大地の夜は早いのだろうか。それとも季節的なものなのだろうか。
 気づいたら、僕ははじめてこの土地にやってきたときに道路に向かう道へさしかかっていた。でもそこにはまだ行けない。そう思って踵を返すと、いつのまにあったんだろう、ぽつねんと郊外に建つ一軒のガソリンスタンドを見つけた。
 道を聞いた方がいいかもしれない。スタンドはまだやっているようだから歩いていくと、店舗の中からなんとサツキさんが出て来たではないか。
「サツキさん……?」
「光さん、何してるの? こんなところで……、」
とりあえず、中に入りなよとサツキさんはガソリンスタンドの事務所の中に僕を入れて、椅子に座らせてくれた。取り込んでいた洗濯物をテキパキと仕舞う。
 話を聞くとサツキさんはここを一人で切り盛りしているらしい。ガソリンスタンドの店長なのだと言う。
「仕事は大丈夫なの……?」
「ええ、このスタンド3日に1回くらいしかお客さん来ないから。」
「そうなの? どうやって儲けてるの?」
「町営のスタンドだから。」
「みんなもしかして、郊外の大型商業施設とかで給油してるんじゃ、」
そこまで茶化しかけたところで、ぎろりと睨まれてしまった。ああ、そうだった。そういうところじゃないか。
「すみません……。」
しんなりとしていると、サツキさんがこちらに歩いてきて、コーラの瓶を目の前で開けた。
「ここまで歩いてきたんなら、喉乾いてるでしょ。」
「いやそんな……、」
「放っておいたらアタシたちが面倒くさくなるのよ。」
「あ……すみません。」
瓶からコーラを飲むって初めてかもしれない。そもそもコーラなんて、ちょっとしか飲んだことない。好奇心に耐えきれず、よく冷えたそれに口を付けたらさわやかな風みたいな味がした。
「おいしい……。ありがとう。」
僕は心にじわりとにじむ何かを感じた。これが、安心感ってやつなんだろうか。サツキさんが目を丸くしてこちらをみている。何かおかしい事でもしただろうか。
「……ねえ、お兄ちゃんから聞いたんだけど、カンパニーってそんなにでっかいの。」
「うん……それなりに。サツキさんはこの町から出たことは?」
「ないわ。出たくないもの。」
「そうなんだ……どうして?」
「……お兄ちゃんが居るから、かな。」
答えになってない気がするけど。と笑うとサツキさんは僕の傍に置かれたぐしゃぐしゃの原稿用紙に目をやった。
「昨日、ずっと頑張ってたね。」
「……だめだった……まだ諦めるつもりはないけど……。」
サツキさんは何も言わない。僕は瓶の中でゆらゆらと揺れるコーラを見つめる。
「海野さんに、父さんに似てるって言われた。あんな風にだけはなりたくなかったんだが。」
「親子ならいいじゃない。」
「嫌なんだ。……その、父さんに似てるって言われるのは……僕は……母さんが大好きだったから……。だけど父さんは……。」
「でもあんたの家お金持ちなんでしょ?」
「……。」
砂礫の大地の真っ赤な夕焼けが窓から差し込んでいる。サツキさんはだまって僕の話を聞いてくれた。

 僕は確かに、生まれた時から大金持ちだった。
 色々あったけど僕の人生は概ね幸せだったと思う。楽しい思い出もたくさんあった。そう思う。けれど父さんと母さんのことになると、苦い思い出がよみがえってくる。
 
 あの日、酔っぱらった父さんに海野藻草という人と『踊るよ。』の話を聞いてから僕は、父と母と家族というものに違和感を覚え始めた。
 違和感は、一度発生すればすぐに追いかけてくるものだ。すぐに母さんが毎晩何処かへ出かけていることにも、父さんと母さんが余所余所しい関係であることにも気がついてしまった。違和感がフックになって見えなかったものが見えてしまったのだろう。
 それでも、僕は父さんと母さんに仲良くしてほしかったから『聞かない方がいいんだろうな。』と思って、ただただ笑顔と愛想を振りまいていた。
 ある日、母さんのスキャンダルが報道された。父さんはマスコミやパパラッチに家にこそ入らせやしなかったけれど、母さんを守ろうとしたけれど、父さんなりの努力では母さんの魂をすくいあげることは出来なかったみたいだった。
 キッチンドランカーになっていく母さんを見るのは本当につらかった。だけど僕にはどうにもできなかった。まだ幼かった僕には母さんを励ますことすらできなくて……。

 灰皿で殴られた頭が、すごく痛かった。手を押さえたら、手が血で赤くなっていた。
『あんたなんか産まなきゃよかった……あの人、私よりあの男が好きなのよ! いまも好きなのよ! だからアタシだって浮気してもいいでしょ!』
喚く母さんを家の使用人たちが取り囲んで、僕は病院に搬送された。
 それから退院して家に帰ってきたとき母さんはもう居なかった。遠くに行ったと聞かされた。
 その時から父さんは僕に本当に余所余所しくなってしまって、僕らの亀裂はいつしか決定的になっていった。僕と父さんを結びつけるのはもはや海野先生の『踊るよ。』だけで、それが本が父さんを母さんを、もしかして海野先生の人生をも、全てを狂わせた原因だとどこかでわかりつつも、僕はその本に縋りつくしなかった。決して明るい内容の本ってわけでもないのに、この本だけが僕をギリギリ現実につなぎとめてくれるような気がしていた。それから15歳の誕生日になって、僕はようやく理解した。
 
 何をしても無駄だ。
 僕には何もできないんだ。 
 だったらもう、何もしない方がいい。

 気づいたらコーラはぬるくなっていた。
 僕がふさぎこんでいると、サツキさんの声が静かな事務所に響く。
「色々あったのはわかったよ。」
彼女の声はすこしのため息を含んでいた。
「他人が知らないところで、辛いことがあったっていうのはわかったよ。だけどさ、あんたは……いまもまだ無力な子どもなの?」
「それは……、」
「あんた、本当はあんたのお父さんみたいになりたかったんじゃない? 聞いてるだけでわかるもん。すごい人なんでしょ? カリスマ性があって、何でも自分で決められて、努力家で何人もの部下を従えてて、ときには何兆円も市場を操作するアイドルみたいなお父さんなんじゃない? 本当はお父さんに憧れていたのよあんたも。それを認めたくないのよ。それ、あんたのお父さんもわかってるんじゃないの。」
「君は父さんのこと知らない、」
「そうね。知らないわ。だけどそれがいまはもう叶わない夢で、今となっては手遅れな願いだってことは察せられる。」
僕は、さっと背中から血の気が引いていくのを感じていた。
彼女の言葉はあまりにもまっすぐに、鋭利にぼくを刺していく。
「それでも、あんたはもう無力な子どもじゃない。」
「それは……、そうだけど。」
「そうね。一生認められない人もいる。だけど、あんたはそれを直視できると思うから。」
「直視……。」
「立ち直れるわよ。いつかは向き合わなきゃいけない日が来るんだから、それが早かっただけよ。」

ふと外を見て彼女はつぶやいた。
「ああ、もうこんな時間。帰らなきゃ。」

つづく

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