『踊るよ。』chapter.3 -02

02.初稿

 

 13時間後。
 僕は出来上がった原稿もといレポート用紙の束を見ながら、満面の笑みを浮かべていた。
「そう、全てのものは模倣から始まる、模倣から始まるんだよ……。」
エナドリの空き缶をガンッと机に置く。もう5本飲んでしまったが知ったことではない。僕は今、やりとげたという達成感で非常に幸福だった。感じたことがないくらいに。
「書けた……書けた、えへ……てへへ……。」
丁寧(にしたつもり)で書きうつした、全部手書きの文章の束。僕が3時間くらいかけて海野先生のために書きうつした、1万文字はあろうかという文章。ノートパソコンから印刷出来たらよかったけれど……僕は豆が出来た手をじっと見つめる。皮膚が硬くなったところが少し破けてる。結構いたい。後で爪を切る必要がある。
 イーファンは、あの頃……もっと手に豆を作ってたな……僕の前では隠そうとしてたけど……。
「だめ……弱気はダメ!」
僕はガッと椅子から立ち上がった。腰がちょっと痛いけど、気にせず上着を着て階下に降りて行った。お風呂掃除をしているイーファンを邪魔しちゃ悪いと思って、僕は一人でそっと海野家を抜け出した。

 ボディーガードをつけずに外出するなんていつ以来だろう。
 この坂を下りて行った先にシックザールの町があると聞いた。この海野家は町はずれにあるから、夜になると町がこの坂の下にぼうっと光って見えるんだって、いつかクリス氏がつぶやいていたっけ。どうしてこんな寂しい所にこの家は建ってるんだろう。どうしてこんなに寂しい所に海野さんは住もうと思ったんだろう。
 坂の上から町を見下ろすと、都会よりもずっと背が低くて、黄色っぽく赤茶けたそっけない形をした建物や集落が、道沿いに並んでいるのが見えた。まるでこの土地から人がいつかいなくなることを知っていて、静かに死を待っているようなたたずまいに、背筋がすっと正される。同時に本当に人があそこで生きているのか不安になる。

 海野先生、クリス氏、サツキさん……あなたたちはどうしてこの町に住んでいるんですか?
 だって、父さんと知り合いなんでしょ……?

 理想や希望もない僕には、他人のあたりまえの幸せはどうせ分らない。僕は今でもきっとどこかでそう思ってる。だけど今はそうじゃない。海野先生にまた書いてほしいっていう目標が願いが僕の人生にできたのだ。それはきっといいことで、実際僕はとてもうれしい気持ちがする。だけどこの町のことを見て、道を歩いていると、同時に僕の中で何か違う気持ちや願いが湧き上がってくるのを感じる。
 僕は……。

「ありがとうございます。またいつでも呼んでください。」
ふと顔を上げると、軽トラックが道端に留まっていて、その前でパン屋さんかな……? らしき店のおかみさん……? と海野先生が話し込んでいた。
「いつも悪いわねえ。あれもいい加減買い替えなきゃって、わかってるんだけどねえ。」
「確かなことは言えませんが古い器具は丈夫ですから、部品がある限りはおそらく……、」
僕は原稿を持ったまま、それを突っ立って眺めていた。
 そっか、海野先生、電気屋さんなんだ……電気屋さんになっちゃったんだ……。
 現実を目の当たりにするとショックを受けるものがある。あの小説を書いた手が今はゴム手袋の中に……。でも。僕は必死に自分のことを思い出そうとする。僕は、何も望まない人間だったじゃないか。それがどうしてこんな、何かを望むようになってしまったんだ……。
「光さん……? どうしたんですか、そんなところで百面相して……?」
僕がはっとなって顔を上げると、海野先生とおかみさんが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。しどろもどろになってあわあわしていると、海野先生が僕が手にほとんど握りしめていたそれを見つけて受け取ってくれる。
「これは……。」
「あ、あの!」
「すみません女将さん、今日はこの辺りで失礼しますね。さあ、行きますよ光さん。助手席に乗ってください。」
押し込められるように軽トラの助手席に載せられた。海野さんは慣れた手つきでそのマニュアル車のギアを入れどこかへと走り出す。狭い町。車は町はずれに向かっているようだった。
「あ、あの……?」
「すぐ行ったところに公園があるんです。湖のほとりなんですが。町中で読んでいたら目立つでしょう。」
 僕はおもわず海野先生の横顔を見つめてしまう。なんて凛々しいんだろう。
「なんですか?」
「え?!」
車はすぐにその湖のほとりの国立公園とやらにたどり着いた。こんな荒野に湖があることが保護対象うなのだということが、大体看板に書いてあった。しかし土地が広いのか湖が広いのか僕らが都会でよく見る公園ではなくてもう、ほとんどだだっぴろい何もない土地になっている。海野先生はさっさとベンチに腰掛けてしまうと、レポート用紙の原稿を真剣な顔で読み始める。
 途端、僕は経験したことがないような胃の謎の焼き付きと緊張を感じた。なんだろう、もしかして緊張してるの? それから心臓がバクバクし始める。早く終わってほしい、早く感想が欲しいという焦燥と共に、終わってほしくないという謎の気持ちが相反しながらも共存している。僕の顔はきっと赤くなっていただろう。いつの間にか握りしめた手に、少し伸びた爪が食い込んだ。
 最後のページまで捲り、じっくりと僕の初小説を読み終わった海野先生は、ふう、とひとつため息をついた。すごく疲れた、そういう色がにじんでいた。僕の背中が、ぴんとはりつめる。
「つまらない以前の問題ですね。」
……ぞくっとした。
「ど、……どうしてですか……?」
情けない、震えた声の上に、海野先生の声が降って来る。
「あなたはやっぱり会長(あのひと)にそっくりです。」
地面が無くなったような感覚に陥りそうになる。その、海野先生の言葉の刃はあまりにも的確に僕を貫いていく。
「夢を追いたいわけじゃないんですよね。夢を追いかけてるふりをしてるんですね。本当は飽きっぽくて、そのせいで何をしても続かなくって。それが自分でもわかっているくせに相手のことを考えない。ずけずけと人の嫌なところに踏み込んでくる。そのくせ面白いことが出来るわけでもない。正論かますことと質問だけは一人前でいつも自分のことを正しいと思っている。だけど、現実と闘うことはあんまりしたくないわけだ。だから何かの真似をしたところで真似にもならない。あなたのお父様はそういうところをごまかすのはお上手でした……まあ、だから別れたんですけど。だけどやっぱりあなたのお父様もあなたから逃げているんですね。」
どんどん海野先生の声色は暗くなっていく。どうしたらいいのかわからないという僕に原稿を押し付けるようにして返し、先生は言い放った。
「私は、あなたの黒い部分が見たかった……会長(あのひと)はそういうの、見せてくれなかったから……だけど、一瞬でも期待した私がバカでした……小説は3日で書けるようなものじゃありません。あなたあれですね。『可愛そうな子』と言われて避けられているうちに本当に自分を可哀想な子だと思い込んでしまって、社会とか現実と闘ってこなかったタイプ。」
それは、違う……。僕は痛いほど握りしめた原稿に、汗がにじむのを感じる。
「それは、違いますよ。」
顔を上げた海野先生に僕は精いっぱいの言葉を投げた。
「僕は、父さんじゃありません……! 父さんは父さんです、僕は、僕だから……、」
やめてくれ、そんな暗い顔しないで。そんなに寂しい、今にも消えそうな、何もかもを諦めたようなほほえみを浮かべないで。僕はあなたのそんな顔が見たくてこんなに頑張ったわけじゃない。初めての希望を持ったわけじゃない。僕はただ……あなたに……。
「……いや、それも違うだろ。」
おもむろに手を見た僕は自分の頭を自分でごつっと殴った。すごく痛いけど、おかげで正気に戻れた。たんこぶくらいなんだ。ちゃんと話すんだ、自分のことばで。サツキさんにもそう言われただろ。
「あの、すみませんがもうしばらくここに居させてください。きっとまた書きます。……いえ、書かせてください。」
びっくりして目を見開いている海野先生にさらに頭を下げた。
「今度こそ、僕の気持ちで書いて……絶対に先生にまた書きたくさせてみせます。その時は再挑戦お願いしますね。じゃあ……。」
僕はベンチに座ったまま戸惑っている海野先生をそのままにして、海野家に向かって、ガツガツと歩き出した。

『なにもしなくても愛されたい』
『なんとなくちやほやしてほしい』
『僕は御曹司なんだから特別な存在であるはずだ』
『何者かになりたい』
『自分にしかできない仕事がしたい』

 都合のいい言葉をインターネットで目にし、周囲の『適当』な大人にいい顔をされ、そして『父さんに避けられて』、僕は歪んだ。甘い言葉を囁いてくれる、周囲の『ぼくを憐れんでくれる』お人形さんたち。みんな優しくなかった。アタリマエのことだった。

[それは、親や周囲の育て方が悪かったせい。]
[夢を見つけられないのは環境が悪かったせいでしょう]
[あなたは特別な存在ですよ]
[やりたいことが見つからない人なんて大勢いますよ]
[心配しなくてもきっとなんとかなりますよ]

 おまえは偉大な父親の背中を見て何を見て学んできたんだ? おまえは自分の父親から何を学んだ?
 僕は、クソ生意気で言うことだけは立派な無能だ。

 だけど、悔しいものは悔しい……、
 悔しい……よ。

  

つづく

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