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03.悲劇のヒーロー気取り
それから階下に降りた僕らは、リビングルーム部屋の視覚的な暖かさにびっくりした。君らが住んでいる所ってホテルみたいだねって友達に言われたことがあるのだけれど、そういうのとは真逆でなんていうか手作りのパッチワーク作品のカバーがかかっていたりとかクッションカバーにかわいい刺繍がしてあったりとか……そういう、見たことのないぽかぽか感が僕はとても好きだと思った。
「とりあえず紅茶でいいですか? 何の準備もできていないんですよ。なんせ急でしたし……好みもわからないから何の用意もなくて……、」
カウンターキッチンから海野さんが話しかけてくる。
「ミルクは先? 後? お砂糖は?」
「えと……砂糖は1つ、ミルクはいつもどっちだっけ?」
「いつもは後ですね。」
……ふむ、と言いながら海野さんはティーバックで入れた紅茶からパックを引き上げ、ミルクを適当に注ぎ砂糖ツボから砂糖をバササと入れ、スプーンでかきまぜたものを僕に差し出した。
「どうぞ。」
あ、はい……と、とりあえず受け取ったものの、ティーバックのお茶なんてほとんど飲んだことがない。受け取ってまごまごしていると海野さんはイーファンにも渡してくれた。私麦茶! とサツキさんが元気に冷蔵庫からピッチャーを取り出す。イーファンが飲んで大丈夫そうだという顔をするので恐る恐る紅茶を一口飲んでみたら、なぜかとても美味しかった。暖かさが体にしみこんでほっとする。
「美味しい……。」
「座ればいいのに。」
サツキさんに促され、僕らはダイニングテーブルに座った。みな、めいめいに飲み物を持っている。
「お兄ちゃんは挨拶した?」
「ああ、うん。私は海野クリス。サツキの兄で、そこの人の孫だ。よろしく。」
クリスさんはそう言うと、ズズ……と緑色の変った香りがするお茶を啜った。
改めてみると確かに似ている。
「改めて海野サツキです。この町のガソスタで働いてるよ。お兄ちゃんは町役場で町長さんの秘書してるの。」
そ、そうですか、肉体労働は大変ですね……そう言おうとして少し失礼なもの言いかと思ってやめた。言い方が難しくて僕はそのまま俯き、悩み黙り込んでしまう。挙句の果てにひねりだしたのはクソみたいなセリフ。
「……お孫さん、いらっしゃったんですね……。」
海野さんは緑色のお茶を一口すすり、……そうですね。と静かに答えた。そうですねって、どう、そうですよ? なの?
「その、ええと、ここにはお三方で暮らしていらっしゃるんですか。」
「そうよ。」
「海野さんの奥様と、お二人のご両親は……?」
麦茶をがぶ飲みしているサツキさんの答えは、とんでもなくあっさりとしていた。
「知らない。興味ない。聞いたこともない。」
クリスさんは、お茶を見つめながら遠くを見ている。海野さんも口をつぐんでしまう。
ええと……。僕の声にならない声だけがぽろりと落ちていく。
そういうことって、ある……? 僕は困惑する。僕は、カンパニーを、会社を継ぐことだけを考えて生きて来たというか、どこかにそういう思考回路がある。だから僕にとって家ってそういうものだった。家族って、嫌でもやり続けなきゃいけないことで、それで……、だけど今サツキさんは『知らないし、興味がないなら聞かなくてもいいと思っている』趣旨のことを言った。
それって、ものすごい価値観の違いだ。
いったい、この三人の過去には何があるんだろう……。
「一応、お二人のことも、うかがっても?」
そう、海野先生に若干だるそうに言われて僕はおもわずイーファンの方をチラ見してしまう。先ほどまでの、いや先日までの僕のあの威勢は何処に行ってしまったんだろう? 僕の口からは、あ、あ、と情けない声が出て来て、うまく発音できなかったことに凹んでしまう。うぅ……とかいう声がうつむいた顔の口から出る。
「こちらは……羽冠光さんです。私は彼のボディガードでワン・イーファンと申します。私どもはその、会長から……その、詳細を聞けておらず戸惑っております、皆さまは、」
そこでサツキさんが酷くつまらなさそうに大声を上げ、イーファンの言葉を遮った。
「だめね。」
「は?」
「だめなもんはだめよ。そこの人もう、こーなっちゃってるじゃない、こう! さっきの勢いはどこに行ったの。」
サツキさんは謎のジェスチャーをしている。なんか、腕をバタバタと。そうやって腕を動かしながらこうって言われても何もわからないが……。困惑して海野先生とクリス氏を見るが、二人は「たしかに」とか「そうかも」とか謎の意見を交わしている。どういうこと……?
「あぁもうわかんないかなあ……、」サツキさんはドンと机をたたく「あんたは、自分で考えて、自分の言葉でしゃべんなさい! おじいちゃん振り向かせたいならそこからっしょ!」
はあ……? 何その言い方、新手のモラハラの一種です……? とあきれた声が出そうになったが、直ぐに言いたいことが分かってしまった。
う、ううん……。
彼女にとってはアドバイスのつもりなのかもしれないけど……。しかし、そんなこと……余計なお世話だ。僕には僕の過去があり、やり方があり、僕には僕の使命があるんだから。ため息をつきながらそっぽを向く。
「光さん、だいじょ、」
「はいそこ機嫌取ろうとしない、」
「なんですって?」
イーファンにぎろりと睨まれてもサツキさんはフンと鼻を鳴らす。
「先ほどからわけのわからないことを、」
「だからさあ、」
彼女は急に冷静になって言った
「そういうチマチマした根性だから、『夢を追いかけるフリをしてる悲劇のヒーロー気取り』になってるんでしょ、アンタは!」
時が止まったような気がした。それは真実で、あまりにも真実で。何も言い返せない。イーファンもな、な、と震えている。海野先生がだしぬけに言った。どこか遠くを見ながら。
「サツキちゃん。言いたいことは順を追って相手に分かってもらえるように言わないとって、いつも教えてるでしょ。ちょっとテンション上がってない?」
「……上がってるかもしれない。」
「じゃあ、どうする?」
「……お茶を飲むわ。」
そう言うとサツキさんは、すんと椅子に戻り、静かに麦茶を飲み始めた。目が? 静かになった気がした。
ゴクゴクと麦茶を飲むサツキさん。
押し黙っていたクリス氏が、はあ、とひとつため息をつく。
たっぷり沈黙が流れた。
「まあ、それは私も思ったけどね。」
海野先生が僕が噛みつく前にしみじみという。
「私くらいの歳になると、会っちゃうとだいたい分かるんですよ。悲しいかな。」
僕がなんと言ったらいいのかわからないままで居ると彼は続けた。
「ちょっと幼いっていうか、社会と、闘ってこなかったんだろうなと言うか……。」
「あの、あなたたちみんなして僕に喧嘩売ってます?」
だしぬけにクリス氏が海野先生に言った。
「じいちゃん、光さんとワンさん? に最初から話をしてあげたらどうかな。カンパニーの会長さんから電話がかかってきたところから。」
「……そうだね。」
と海野先生はつぶやきながらお茶を一口すする。
「先ほど何年ぶりかで、あの人……会長さんから電話がかかって来ましてね。『うちの愚息とボディーガードをホームステイさせてやって。座標は後でメールするから、よろしく。』と言われガチャ切りされたのです……。メールを見たら本当に座標が送られて来ていたので、クリスを町役場から呼び戻させてもらって、それからサツキと一緒にピックアップに向かいました。」
「え、えと……それだけ?」
「それだけです。」
「はあ……あ、あの、そ、そうですか……。……ちゃんと聞けてなかったんですけんども……、」僕の声は自分でもびっくりするほど頼りなかった。「父と海野先生は、どういうご関係なんですか……?」
海野先生はまた、お茶を一口すすった。答えは無かった。
「……そういえばお兄ちゃん、さっき二人がほーむすていするって言ってたけどさ、ほーむすていって何?」
「それはね、しばらくこの家に滞在して色んなことを勉強するってことだよ。」クリスさんが答える。
「お金持ちの物見遊山ってわけ?」
「そういうことを言うもんじゃありません。」海野さんはぴしゃっと言った。
僕はどうも緊張してしまって、まだ口が回らない。妙においしい紅茶を見つめていることしかできない。イーファンが助け舟を出すように質問をしてくれる。
「実は、我々もなぜ羽冠会長がその、こちらの海野先生の家に我々を派遣したのかわからないのです。」
「あの人、会長さんは光さんに何て言ってました?」
「えっ、」突然聞かれて僕は驚き、もごもごと口ごもる。「えと、おまえに必要な話をしてくれるだろうって……その……そんなに海野先生に会いたいなら、会いに行ってしまえばいいって……。」
僕は父さんの呆れ切ったという顔と言葉のナイフを思い出す。ふと、身体がぶるりと震えた。
「……そうですか……変ってないですね……。」
なんだろう。その言い方は。引っかかるものを感じる。昔の恋人がまだやんちゃしてると聞いてあきれてるみたいな言い方……いや、そんなこと。
そんなこと、あるのかもしれない……?
「あの人、また投げ出しちゃったんですね。投げ出して、逃げ出して……。そういうところ、すこしは変わったんじゃないかと思ったんですけど……どうしても向き合いたくなかったのかな。あの人、社会と闘ってはいるんですけど、手をかけるところが違うんですよね。」
海野先生は遠い目でお茶を見つめている。何を考えているんだろう。きれいな緑色の目で。
「う、海野先生は……ずっとここに……?」
「海野先生はやめてください……。さっきも言いましたが、もう過去の話です。」
「で、でも……父さん、海野先生の小説持ってました! ちゃんと単行本で……! 父さん興味ないって言ってるけど絶対そうじゃないんです!」僕は手をばたつかせ、ぎゅっと握る、かぶりをふる。「違う、そうじゃなくて……、父さんは今でも先生の小説机の中に入れてるんですよ、先生の写真も!」
海野さんは顔を上げ、突然キッと僕を睨む。明らかに深い情念が籠った怒りを感じた。びっくりして目をしばたかせていると、クリス氏が割って会話に入って来る。
「じいちゃんにも色々あったんじゃないかな。嫌がる人に深く聞くことは無いじゃないか、」
いや、それはだめだ、僕もまただんだんと止められなくなっていくようだった。
頭の片隅で、疲れたもう休みたい、何も聞きたくないと思いながら僕の口はどんどん早くなっていって、動きが止められないのは、なんでなんだ。次第に自分が何を言っているのかもわからなくなってくる。まるでさっきのサツキさんみたいだ。
いやもっとひどいかもしれない。
「で、でも! どうして都会であんなに流行った小説を書いた海野先生がこんな田舎に住んでるんですか? この家は海野先生が建てたんですか? 一人で管理してるんですか? ほかにホームステイしてる人は居るんですか? お孫さんがいることをどうしてファンも誰も知らないんですか? ご結婚なされてたんですか? 奥様は? お孫さんお二人のご両親は? 仕事は何してるんですか? 印税ですか? どうしてそんな髪型なんですか??」
海野先生は、やっぱり何も答えてくれなかった。
すごく不機嫌そうに立ち上がるとキッチンに立ち、またお湯を沸かし始める。ついていこうとする僕を、クリス氏が引き止める。
「おいおい、壊れたAIか? 落ち着きなよ。」
「僕らには聞く権利がある!」
「なら答えない自由もあるさ。ほら、家の中を案内してやるから来な。サツキちゃん手つだって。」
わかったとサツキさんが頷く。
「ほら、いくわよ!」
サツキさんは僕をすごい力でぐいぐい引っ張っていく。イーファンが、光さんに乱暴しないでください! とかいうけれど、あれよあれよという間に海野先生の背中が隠れてしまう。そんな中、海野先生の呟きがふと聞こえた。
「ほんとに……どいつもこいつもですわ……。」
心をガリ、と、ひっかかれたような気がした。
つづく
