『踊るよ。』chapter.1 -03

03.父さんのシワ

「……で?」
 父さんがこちらに背を向けたまま問うてくる。あれからしばらくして僕は、マンジカンパニーの会長、羽冠静会長のカンパニー本社執務室に連れてこられていた。僕の父さんはこの国の裏の王とか呼ばれている権力者だ。彼の一存で政治が変わるとかそういう滅茶苦茶なことも囁かれている。端的に言うとそういう人だ。
 父さんは僕の5メートルほど先、マホガニーの一枚板を使った大きなデスクの向こうにおり、最高級の革張りの椅子に座り、世界屈指の透明度を誇るガラスを作ることが出来る優良メーカーに特注した巨大な防弾ガラスの窓の向こう、その大都会を見下ろす景色に目を向けていた。
 父さんは長々しいお説教をするような人ではない。僕が群衆にかました演説とか、説教と言う名の長い説明が必要なほど僕らの間にでこぼこした理解の段差はない。僕もそれは理解していた。今回も父さんが建前上の説明を求めて、僕は端的にでっちあげた理由を説明をするだけのことなのだが……今日の僕は何も聞いていなかった。聞く気が無かったともいう。
 あれから事情聴取とか健康検査とかを色々されて疲れていたから、もうひたすらけだるくて、ぼんやりしてしまっていたというのもある。
 窓の外を、白い鳩がバサバサと飛んでいく。僕らにうっすらと連中の翼の影が落ちる。つまらないなあ、と思った。僕はこちらに半身を向けた父さんを見やった。父さんは噂によると毎日高級にもほどがある美容液を大量に容赦なく顔面に塗りたくっているらしいのだが、寄る年増には勝てないのだろう、またシワが1つ増えた。

「……ねえ、なんか失礼なこと考えてない?」

 思えば、子どもの頃から、僕はずっと一人ぼっちだった。父さんと母さんが離婚して、母さんが家から出て行かされてしまってから、父さんはますます僕に構ってくれなくなった。使用人は沢山いたけれど、本音を心から話せる人なんて誰も居なかったと思う。
 イーファンにすら、話せないことも沢山あった。
 イーファンというのは、先日敵地に最初に乗り込んできてカンフーキックをかましたボディガードの女性だ。僕の専属ボディガードで、大抵いつも一緒に居る。今日も僕の後ろ、この部屋の扉の前で僕をじっと見つめながら微動だにせず僕を待っているだろう。彼女は父さんがどこぞの国で拾って来た孤児なんだそうだ。それ以外のことは何も知らない。
 だけど僕はイーファンが僕のために訓練をしたりするのを見つめながら暮らしてきた。イーファンもまた、僕が(結果的に何にもならなかった)帝王学教育をさせられてきたことを知っていた。ただ、歳が近いせいと異性であることもあり、僕らは徐々に互いの事が分からなくなってしまった。

「ちょっと、聞いてんの?」

 だけど、僕には1つだけとても印象深い父さんとの思い出がある。

 あれは5歳になったばかりの頃だったか。イーファンが訓練に疲れて眠ってしまったのをいいことに、父さんの書斎に遊びにいったというか、忍び込んだことがあった。いつもなら父さんが使用人を呼んで追い出される流れになるのだけれど、その日父さんは珍しく書斎で酒に酔っぱらっていた。
 僕が近くによって行くと、父さんは僕をすっと持ち上げて膝の上に載せてくれた。父さんはアルコールくさかった。抱きあげられながらふと机の上に目をやると、そこには一つの写真立てと本が大切そうに置かれていた。僕はその本を手に取って、表紙の文字を読んだ。

「おどる、よ……、うみのもぐさ……?」

それから写真立ての中の写真を見た。父さんと僕の知らない誰かの写真だった。写真の中で、見たこともないような笑顔で父さんは破顔して隣の男性と肩を組んでいた。父さんのそんな笑い声が聞こえてきそうな馬鹿笑顔を僕は一度も見たことが無かった。その隣で写真に写っているおとなしそうな男性は賞状を持っていた。とても立派な賞状を恥ずかしそうに持っていて、はにかみながらしかしうれしそうだった。
「あ、わかった!」僕は父さんを見上げた「このひとが、この本書いたんだね!」
 父さんは遠い目で書斎のステンドグラスがはまった美しい格子窓、その向こうにかすかに滲む月。じっとそれを見つめている。酒のせいか、何なのかその目はうるんでいて。父さんはそれを隠すように僕を抱き上げ直した。
 不安に包まれている僕の真上で父さんは言った。
「そうさ……海野藻草……私が、この世でただ一人愛した男だ……好きだった……何もなくても、あの頃は幸せだったな……。」

 僕は父さんとの思い出から、ぼんやりと現代に戻ってきた。まだあの日の父さんの寂しそうな声が聞こえるような気がした。父さんはあれから派手になった。もともと派手だったけど、言動も服装もますます派手になった。まるで誰かに気づいてほしいみたいだなって僕は思いながら、そんな父さんを僕のどこかは、白い目で見ている。

「あのさあ……おまえ……、」父さんは完全にこちらに姿を向けて渋い声を出した「本当にやる気あるのかな? このカンパニーを継ぐ気はあるの? 出版社の仕事だって、希望したからさせてやってるのにどうも評判悪いしさあ……好きな本とかそもそもあるわけ?」
僕は間髪入れずに答えた。
「『踊るよ。』」
「いつまでもあんな本読んでないで働きなさい!」
父さんが珍しく激高した。本気の怒りだった。しわが増えるよとか適当なことを言ってなだめようとしたのだがしかし僕も、その時は流石に疲れもあったし、精神的に参っていたため、結局売り言葉に買い言葉してしまう。
「僕はあの本が好きなんだ! っていうか、息子より大事な男って何だよ!」
一瞬、冷や水を浴びせられたような顔を父さんはした。やっとあの写真のことを思い出したのか、それともずっと思い出せないふりをしていたのか。しかし父さんは僕をあざ笑う。
「まったく……何が理想、現実の話だい。仕事にやる気もなくやりたい事も見つけられないおまえのような奴に説教される創作団の連中も可哀そうだ。藻草もこんなファンを抱えて鼻が高いだろうよ! そもそもたった一作で諦めた奴だぞ? 続けられない、やりもしない、作らない、いつもその場のがれして、やだやだ言って、私との会議だって『お前の話なんてつまらん、早く終われ』って思ってたに決まってる、そんな作者のファンであるおまえもどうせあいつみたいな大人になったんだろう!」
そんなこと言って後悔しないんだろうか。愛してるって言ってたくせに。
「デスクに座る文鎮みたいになっちゃった父さんよりは、海野先生も僕みたいな熱心なファンが居てくれた方がうれしいだろうさ。」父さんが、途端に凶悪な目を向けてくる。目で怒っていることがよくわかる。「そっちこそ、そんなに気になるなら海野先生に会いに行けばいいんじゃないの。」
「……おまえが会いたいんだろ、」
「ああ、会いたいよ。あってみたいよ。こんな場所に居るより色々なことを教えてくれるだろうからね。僕が人生で好きなのはあの本だけだもの。海野先生の小説だけだもの。」
「人生……? 何も知らないくせに……、現実と立ち向かいもしない、自分を選ばれた子どもだと思っている……この……」そうブツブツとつぶやく父さんの怒りのボルテージが上がっていくのを感じる。
「父さんこそ、母さんと別れてから何も出来なくなったじゃないか。22年間、父さんは何をしていたの?」
それは、言ってはいけない言葉だった。
 父さんはものすごい顔でぼくを見た。
 やめればいいのに僕はさらに悪いことに最後のピースまではめてしまった。
「ほんと、いくじなしだ。」
突然、父さんが机にあった何かの装置をバァンと叩いた。父さんのボディガードたちがやってきて僕を取り囲む。イーファンが間髪入れずに飛んでくるが、彼女も彼らに肩をつかまれてしまう。
「行ってしまえ……どこへでも……行けばいい……! シックザールにでも、藻草の所にでも、何処にでも……!」

つづく

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