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01.『読みかき!』の爆散
僕には、かけない。……書けませんでした。
それは、何者かになろうとしても、何にもなれなかった僕の、正しき敗北宣言だった。
踊るよ。- I will dance for you. -
僕が遠くて鄙びた、あの何もない荒野の村、シックザールに行く前。僕の文芸に対する価値観は非常に幼稚で、おおよそ出版社で働き部下を持つ人間の持つべき域に、達していなかった。そして僕自身も、他者が文芸や芸術を極めるといったそういった思想を想像、彼らの夢や展望を肯定すらできていなかった。いや、理解しようともしていなかった。
「聞きました?」
働く出版社の部署で、僕の部下たちは今日もヒソヒソと喋っている。
「『よみかき!』 閉鎖されるそうですよ……、」
「個人運営でしょう? あのサイト……管理人さんも気の毒ですよね……。」
デスクに座って書類に判子を押していると、今日のお茶当番がそろそろと近づいてきてお茶を置いてくれた。僕は適当にお礼を言う。
何がインターネット小説だ。
僕はその頃、現代人がインターネットでしているような創作文芸は、遊びなんじゃないかと本気で考えていた。
怒らないでほしい、ガキだったのだ。大学を卒業したばかりで仕事もできない、右も左も若らない家柄が良いだけの能無し。それが僕だったのだ。
当時の僕は、昔の紙とペンで書いていたような所謂文豪の作品と比べたら、彼らのやっていることなんかアソビなんじゃないか。インターネットで文芸と芸術を本気でやってる奴なんていないんじゃないか、とか、そういう知見しか持っていなかったし、本気でそんなことを思っていたド阿呆だった。
もしかしたらそれは創ることが出来る人たちへの嫉妬……だったのかもしれないと今は思う。だって僕には、打ち解けられる人もモノも趣味すらも、何もなかったから。
僕が愛しているものと言ったらいつもカバンに潜ませていて、どこでも読んでいるこの小説、『踊るよ。』だけ。別に内容を隅々まで暗記したり、考察してるってわけでもない。ただ、この本とは因縁があって僕はこの本に執着していた。それはそれで矛盾していたが、僕はそれすらも見ないふりをしていた。
僕は、歪すぎた。
部下たちはひそひそと話を続けていた。
「いや、どうなるんでしょうね……。」
「アニメとか、あそこから結構なってたのに……、」
「また炎上がひどくなるんじゃ……、」
昨晩、インターネット上にあった最大手の素人創作小説の投稿サイト「よみかき!」が企業もとい社会におけるAI技術の潮流に呑み込まれて大炎上し、結果的にインターネットテロリストたちの標的になり、ハッキングされサイトごと閉鎖に追い込まれた。
出版社で働き部下を持つ僕は当然ながらアンテナを張って情報収集するべきだった。しかし、僕は「ふーん」くらいの温度感だった。務める出版社の部下や一応の上司たちはロビーなどでその騒ぎについて真剣に語り合っていたが、僕はそのニュースをスマホ越しに見つめながら、どこか現実感の無さを感じているだけ。
そう、世界や仕事に感心なんて無かった。都会にある社屋ビルの隙間から見える青空の方が僕にとっては大切だった。この狭いビルの間にも虹が出たらいいのになと思う。もちろん、見えるものは味もそっけもないガラスと、高所でビルの窓清掃をする作業員の方々だけなのだけれど。
お茶を入れてくれた部下が、書類を持ってくる。書類を確認していたら、彼女がふと話しかけてきた。彼女はいつも何かしらにつけて僕に気を使ってくれるいい部下だ。でも、僕はどうしたらいいのかわからない。闘うことと勉強と食事の作法以外、誰も何も教えてくれなかったから……。
「また、『踊るよ。』読んでらっしゃったんですか?」
気がついたら、また机の上にこの本を出していた。仕事に関係ないのに……。作者の『海野藻草』先生は何年も前に文壇から姿を消している。変な名前の作家さんだが、彼はたった一作の伝説を残した天才作家として有名だ。その表紙を、僕は無意識で手で触っていた。
「……目に入るところにあると……落ち着くんだ……。」
「私も好きです、海野藻草先生の、『踊るよ。』、大きな出来事は起きないのに、読ませる力が大きいですよね。」
彼女の言葉に、僕は、うん……そうだね、と曖昧に笑い返した。
……こんな僕に部下や上司が失望しているだろう。しかし誰からも文句は出ない。それはそうだ。なぜなら僕はこの出版社の親会社で、国中のありとあらゆる情報を管理し、商売するコングロマリット、マンジカンパニーの会長、羽冠静の実の息子。つまり御曹司だから。僕に口ごたえしようと思う人間なんて誰も居ない。
「羽冠さんは、『よみかき!』の件、どう思われます?」
僕が書類を確認していると、彼女が聞いてきた。もう放っておいてほしかったのだけれど、僕はモゴモゴと答える。
「面白くない小説がたくさんあったなって……思うけど……。」
彼女は、なんというか、残念そうに「そうですか。」とだけ言った。
わかっていた。あの頃の僕でさえ本当はわかっていた。僕は卑屈だ。それに価値観が子供じみている。
それなら、だったら、じゃあ、どうしたらいい?
僕は、はじめから期待なんかされていない子供だ。僕の役目はカンパニーの後継者として仕事をバリバリすることなんかじゃない。さっさと見合いをして優秀な世継ぎを残してお飾りになり隠居することだ。それが僕の運命。僕は子供のころからそれだけを期待されてきた。だから、勉強とマナーと最低限の護身術しか僕は知らない。そんな僕にやりたいこととか、したいことなんて無い。だったら、何もしないほうがいいし、出来ない。
しかしそんな僕にも虚無のような復讐心だけは心にあった。
カンパニーのグループ会社の中でもひなびたこの小さな出版社に出向したいと言ったのは僕の小さな抵抗だった。AIや先進技術、電子書籍の台頭により斜陽産業になってしまったこの業界。ここでどんどん小さくなって、窓際で現実感なく腐っていくんだ。それだけが父さん……カンパニーの会長の羽冠静へ復讐できる方法だ。
僕は毎日、そんな暗い希望だけを持ち仕事をしていた。何もかもが手に入りながらも、何も思い通りにならない自分の人生にひたすら、絶望だけがある。
僕は、何をするために生まれてきたんだろう。
だが、そんな無気力な僕も一応「御曹司」というバッチだかロールだかを付与されているわけで、この身を狙う奴も後を絶たないわけで。ついに僕は誘拐されてしまった。
というのが、ここまでのあらすじってやつだ。
つづく
