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01.『よみかき!』の爆散
僕には、かけない。……書けませんでした。
それは僕の、正しき敗北宣言だった。
踊るよ。- I will dance for you. -
僕が遠くて鄙びた、あの何もない荒野の村、シックザールに行く前。僕の文芸に対する価値観は非常に幼稚で、おおよそ出版社で働き部下を持つ人間の持つべき域に達していなかった。そして僕自身も、他者が文芸や芸術を極めるといったそういった思想を想像、彼らの夢や展望を肯定すらできていなかった。いや、理解しようともしていなかった。
その一方で僕にはやりたいことも将来の夢も目標も何もなかった。
だけど、何者かにはなりたかった。
いま大学を卒業してから縁故就職して、1年目の夏。なりたかったものとか目標とかって僕にあったかなってデスクでハンコをぼんやりと押しながら考えている。
無いわけではなかったかもしれない。
幼い頃僕は父さんみたいになりたかった。父さんを尊敬していた。僕の父さんは大企業の会長だ。
カリスマ性があって、何でも自分で決められて、努力家であり、部下を従え、時には何兆円も操作することもある。一方でオシャレで美容に気を使っている、アイドルみたいな人だ。本当はそんな父さんに憧れていたのだが、大人になるにつれ僕はその憧れを素直に認められなくなっていった。
だが、もう父さんのようになることは諦めた。それはもう叶わない夢、今となっては手遅れな願いだと。それに僕の思考力や、能力、考えなんてたかが知れていた。
それでも自分の良くない思考の癖に気づいたのは結構早かったと思う。
『なにもしなくても愛されたい』
『なんとなくちやほやしてほしい』
『僕は御曹司なんだから特別な存在であるはずだ』
『何者かになりたい』
『自分にしかできない仕事がしたい』
という思考がどこかに常にあるのは、すごく気持ちが悪いことだった。それは違う、と、頭の中で常に訂正しつづけなければいけなかったからだ。
それでも悔しかった。どうして僕は無能なんだ?
理系のことをさせても芸術的なことをさせても、いまいちで、かといって運動神経抜群ってわけでもない。
僕は毎日鏡の前で悩んでいた。僕だってちゃんと自分で考えようとしたんだ。だが、それは幼い僕一人の脳に負荷をかけるにはあまりにも難しい問題だった。
思春期になってからもその謎は解けなかった。僕は増大する不安を抱えて過ごしていた。そんな時、都合のいい言葉をスマホからインターネットで目にして、もっと不安になった。だから周囲の大人に聞いてみた。当たり前だが、誰もちゃんと答えてくれなかった。やがて『父さんにも避けられ続けて』、僕は歪んでいった。
かわいいぬいぐるみさんたち(直喩)は、僕のそばでずーっと優しく囁いてくれる。自分たちの立場可愛さに、僕に厳しいことは何も言わない。裏を返せば誰も優しくない。彼らは悩む僕に優しく言った。
[それは、親や周囲の育て方が悪かったせいです]
[夢を見つけられないのは環境が悪かったせいでしょう]
[あなたは特別な存在ですよ]
[やりたいことが見つからない人なんて大勢いますよ]
[心配しなくてもきっとなんとかなりますよ]
違う。誰かに必要な人間とされたいのなら、誰かに必要な人間になろうと努力しなければいけない。まともな人ならこう言うだろう。そもそも、おまえは偉大な父親の背中を見て何を見て学んできたんだ? と。
僕は、母さんに会いたくなった。誰かに、守ってほしかった。ちゃんと話を聞いてほしかった。
毎日孤独で、不安を抱えていて、酷く寂しかった。友達なんか誰も居なかった。僕は何度も母さんに会いたいと願った。だけど、母さんはもうここには居なくって、誰も迎えに来てくれなくて、誰も何も教えてくれない……。
結局僕の認知は歪んでいって、やがて本当に無能な人間になってしまった。
「聞きました?」
そしていま。働く出版社の部署で、僕の部下たちは今日もヒソヒソと喋っている。
「ああ、『よみかき!』 閉鎖されるなんてね」
「個人運営でしょう? あのサイト……管理人さんも気の毒すぎますよ、」
「それもそうですけど、この先出版業界が本当にどうなるか……、」
デスクに座って書類に判子を押していると、今日のお茶当番の部下がそっとと近づいてきてお茶を置いてくれた。僕は適当にお礼を言う。
何がインターネット小説だ。
僕はその頃、現代人がインターネットでしているような創作文芸は、遊びなんじゃないかと本気で考えていた。
怒らないでほしい。
いや、怒っていい。怒ってくれ。
この馬鹿を誰かぶん殴ってやってくれ。
子どもだったとかそういう言い訳はもういい。大学を卒業したばかりで仕事もできない、右も左もわかない、家柄が良いだけの能無し。それが僕。最近ようやくそれに気づいて現実を直視できずに不貞腐れている。それが僕。羽冠光(うかんひかる)。
とにかく当時の僕は、昔の紙とペンで書いていたような所謂文豪の作品と比べたら、彼らのやっていること(インターネット小説)なんかアソビなんじゃないか。インターネットで文芸と芸術を本気でやってる奴なんていないんじゃないか、とか、そういう知見しか持っていなかったし、本気でそんなことを思っていたド阿呆だったということ。
もしかしたらそれは創ることが出来る人たちへの嫉妬……だったのかもしれないと今は思う。だって僕には、打ち解けられる人もモノも趣味すらも、何もなかったから。
それは後々、怠惰だっただけだと気づくのだが……、とにかく当時、僕がこの世で唯一『痛みを僕に与えない』ものだと感じられたのは、いつもカバンに潜ませていて、どこでも読んでいるこの小説、『踊るよ。』だけだった。別に内容を隅々まで暗記したり、考察してるってわけでもない。ただ、この本とは因縁があった。
部下たちはひそひそと話を続けていた。
「いや、どうなるんでしょうね……。」
「アニメとか、あそこから結構なってたのに……、」
「また炎上がこっちにも飛び火するんじゃ……、」
ああ、だるいなあ……。またあのサイトの話? もういいじゃん……潰しときなよ。
昨晩、インターネット上にあった最大手の素人創作小説の投稿サイト「よみかき!」が企業もとい社会におけるAI技術の潮流に呑み込まれて大炎上し、結果的にインターネットテロリストたちの標的になり、ハッキングされサイトごと閉鎖に追い込まれた。
出版社で働き部下を持つ僕は当然ながらアンテナを張って情報収集するべきだった。しかし、僕は「ふーん」くらいの温度感で居続けた。務める出版社の部下や一応の上司たちはロビーなどでその騒ぎについて真剣に語り合っていたが、僕はそのニュースをスマホ越しに見つめながら、どこか現実感の無さを感じているだけ。
本気で、現実に向き合う胆力がない。
そう、世界や仕事に感心なんて無かった。都会にある社屋ビルの隙間から見える青空の方が僕にとっては大切だった。この狭いビルの間にも虹が出たらいいのになと思う。もちろん、見えるものは味もそっけもないガラスと、高所でビルの窓清掃をする作業員の方々だけだ。明らかに現実逃避でしかない。ただの、現実逃避。
お茶を入れてくれた部下が書類を持ってくる。書類を確認していたら、彼女がふと話しかけてきた。彼女はいつも何かしらにつけて僕に気を使ってくれるいい人だ。っていうか、きっと僕よりよっぽど仕事ができる人だ。有能な人だ。僕と違って金持ちのボンボンの縁故入社でもない。今思うと、父さんは僕にすごい人を付けてくれたなあと思う。気にかけてやってくれってわざわざそばに置いてくれたってことだ。それくらい期待してくれていたんだろうな。
「また、『踊るよ。』読んでらっしゃったんですか?」
気がついたら、また机の上にこの本を出していた。仕事に関係ないものは普通机に出すべきではないのに。作者の『海野藻草』(うみのもぐさ)先生は何年も前に文壇から姿を消している。変な名前の作家さんだが、彼はたった一作の伝説を残した天才作家として有名だ。その表紙を、僕は無意識で手で触っていた。表紙は触りすぎて擦り切れてきていたので最近はビニールカバーを付けている。
「……目に入るところにあると……落ち着くんだ……。」
「私も好きです、海野藻草(うみのもぐさ)先生の、『踊るよ。』、大きな出来事は起きないのに、読ませる力が大きいですよね。」
彼女の言葉に、僕は、うん……そうだね、と曖昧に笑い返した。
……こんな僕に部下や上司が失望しているだろう。しかし誰からも文句は出ない。それはそうだ。なぜなら僕はこの出版社の親会社で、国中のありとあらゆる情報を管理し、商売するコングロマリット、マンジカンパニーの会長、羽冠静(うかんしずか)の実の息子。つまり御曹司だから。僕に口ごたえしようと思う人間なんて誰も居ない。
そんなことをぼけっと考えていると、彼女はさらに助け舟を出すように話しかけてきてくれる。
「羽冠さんは、『よみかき!』の件、どう思われます?」
僕が書類を確認していると、彼女が聞いてきた。放っておいてほしかった僕は、モゴモゴと答える。
「面白くない小説がたくさんあったなって……思うけど……。」
彼女は、なんというか、残念そうに「そうですか。」とだけ言った。
僕は淹れてもらったお茶を飲むでもなく飲みながら、しんとなってしまったオフィスの隅でやさぐれた。
わかってる。僕は卑屈だ。
卑屈すぎる。もはや、卑屈すぎて傲慢だ。
それなら、だったら、じゃあ、どうしたらいい?
僕は思う。確かに僕ははじめから期待なんかされていない子供だ。僕の役目はカンパニーの後継者として仕事をバリバリすることなんかじゃない。さっさと見合いをして優秀な世継ぎを残してお飾りになり隠居することだ。それが僕の運命。僕は子供のころからそれだけを期待されてきた。だから、勉強とマナーと最低限の護身術しか僕は知らない。
……やっぱりそんな思考は毎日するべきではない。虚無感と共に復讐心が浮かんでくる。復讐心はやがて他責思考ってやつになる。僕は悪くない、父さんが悪い。
僕が何もできないのは父さんが悪い。だったら、こんな会社、僕ごと潰してしまえばいい……。
カンパニーのグループ会社の中でも小さなこの出版社に出向したいと言ったのは、そんな僕の小さな抵抗だった。AIや先進技術、電子書籍の台頭により出版業は斜陽産業になってしまっていると思い込んでいた僕は、ここでどんどん小さくなって、窓際で現実感なく腐っていくことを選んだ。それだけが父さん……カンパニーの会長の羽冠静へ復讐できる方法だと決めつけたのだ。
僕は入社してからそうして毎日、そんな暗い希望だけを持ち仕事をしていた。何もかもが手に入りながらも、何も思い通りにならない自分の人生にひたすら、絶望だけがある。……という絵空事で、自分が誰のせいでもなく自分のせいでやる気のない子どもになったという事実を隠す日々を送っていた。
あと、そう思っていれば誰かが察してくれるかもというちょっとした確信犯的な願いもあるにはあった。
誰かが僕の気持ちを代弁してくれるんじゃないかと願っていたのだ。たとえばこの『踊るよ。』という小説みたいに、厳しい言葉や優しい言葉を沢山使って素晴らしい語彙で、代弁してくれないかなあ。
等と……。
あぁ辛い、辛い、辛い……楽になりたい。
だが、そんな無気力な僕も一応「御曹司」というバッチだかロールだかを付与されているわけで、この身を狙う奴も後を絶たないわけで。油断していた僕はその日誘拐されてしまった。
ここまでが、僕の人生のここまでのあらすじだ。
つづく
