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02.僕の物語

その日の夜。
イーファンにお休みの挨拶をされたが、今日は簡略版の返事をした。
家に戻ってから、ずっと僕は書き続けていた。
集中し、必死に、ただひたすら書いていた。
心という大きな石をひっくり返して裏側をみつめる、それを思い出しながら僕は素直に物語を紡ぐ。念頭に置いていたことは1つだけ。これは藻草さんに捧げるための物語ではないってことだ。そう、これは僕の心の復讐の物語だ。言ってしまえば私小説だ。
僕には、これしか出来ない……けれど、僕の物語だ。
『なにもしなくても愛されたい』
そうだね。
『なんとなくちやほやしてほしい』
そうだ。
『僕は御曹司なんだから特別な存在であるはずだ』
そう思っていた。
『何者かになりたい』
そうかもしれない。
『自分にしかできない仕事がしたい』
ああ、そうともさ。
都合のいい言葉をインターネットで目にし、周囲の『適当』な大人にいい顔をされ、そして『父さんに避けられて』、僕は歪んでいった。かわいいぬいぐるみさんたちは、僕のそばでずーっと優しく囁いてくれた。自分たちの立場可愛さにだ。みんな優しく無かったということだ。まあ、それはアタリマエのことだった。彼らは悩む僕に優しかった。
……いや、みんな優しくなんかなかった。
みんな、無関心だった。それが正しいふるまいだ。
[それは、親や周囲の育て方が悪かったせい。]
うん。
[夢を見つけられないのは環境が悪かったせいでしょう]
きっとそう。
[あなたは特別な存在ですよ]
そうだといいな。
[やりたいことが見つからない人なんて大勢いますよ]
そうだろうね。
[心配しなくてもきっとなんとかなりますよ]
それは、
そうさ。
誰だってそう思うし、
誰だってそう言われたいだろうさ。
やがて深夜になると、手がかじかんでしまった。手の筋も痛いし、指は震えているし、目はしょぼつくし、キーボードをタイプしすぎてノートパソコンのバックスペースキーは歪みかけてる。
つらい。痛い。ひもじい。
「……でも……。」
でも。
そう自分に言い聞かせながら僕は孤独に、ずっと書き続けた。
自分の岩をひっくり返して、もう一度ひっくり返して、またひっくり返す。
そのうち、自分がわからなくなってくる。
腕も手も痛くて方も凝って、そのうち腰まで痛くなってくる。
だけどこの手を止める気はない。今止まったら掴んでいるものが何処かに言ってしまう気がする。それが駄作という風船の糸だろうが、傑作につながる蜘蛛の糸だろうが、もうどうだっていい。
僕は、この手を止めるきはない。それは、すでに焦がれた彼のためでも何でもない。僕の身勝手なワガママ。これが僕がしたいこと。僕が自分で決めたこと。
僕の、伝えたいこと。
何者かになりたかった。何者にもなれなかった。
それだけの私小説。
それから、地球がなんどか回った。僕は出来上がった小説を転記したレポート用紙の束を、震えかじかみ痛む手で丁寧にまとめた。トントンと机で整え、鉛筆やらシャーペンの芯の粉やら消しカスやらペンだこやらでぼろぼろになった手で書いた表紙をつけて、クリス氏にもらった大きなクリップでひとまとめにする。
『-I will dance for you.-』 羽冠光
そう付けられたタイトルをふと見つめ、僕はしばらくぼんやりする。
何も考えられないのは、頭の中が空っぽになるほど集中していたからだろう。
もう考えられないなら、それは全力を出し切ったということかな。
いや、まだだ。
ああそうだ。まだ、やることがある。
僕は決心し、階下へゆくために部屋を出て歩いていった。
藻草さんは仕事中だったが、いつか小説を見せた場所。例の国立公園で待っていますねと言ってくれた。家を出る際イーファンもついていくと言ったが、僕は一人で行きたいと頼んだ。
これでワガママは最後にするから、と。イーファンは、どうか気をつけて……と言って送り出してくれた。後ろから彼女が鼻を啜る音が聞こえてきて彼女を抱きしめてあげたくなったけどそうするわけにはいかなかった。心を鬼にして、僕は海野家を後にして、まっすぐにいつか最初に小説を見せた国立公園に向かった。
つづく
