『踊るよ。』chapter.2 -04

04.NEET

 それから、まあゆっくりしなよとクリス氏に言われてまた僕が怒って、それをイーファンになだめてもらっている間に夕食の時間になった。夕食はすごくおいしかった。シチューだった。それから僕はすぐに案内してもらった慣れない浴室でシャワーを浴びさせられて、寝る支度をさせてもらった。その頃にはもうすっかり疲れていてぐったりしていたから『質問は明日でもできるさ。』というクリス氏の言葉を僕は甘んじて受け入れるしかなかった。
 脱衣所で、鏡の中の僕がこちらを見つめている。生気が無くて、暗くて黄昏に落ちた……そういう眼で。
 部屋に戻るすがら、階段の踊り場で顔を上げると、イーファンが寝る前の挨拶に来てくれていた。
「ああ……イーファン……大丈夫……?」
「はい、光さん。」
「いや……大丈夫じゃないって顔だ。本当は不安って顔してるね。」
僕が笑うと、イーファンもふと微笑んだ。僕はイーファンのそのほほえみが好きだった。
「僕って……悲劇のヒーロー気取りなのかな……いや、何でもない。忘れて。」
イーファンは何も言わなかった。
僕は階段を下りる。
「今日は御互い早く寝ようぜ。おやすみ……。」
「光さん? どちらに行かれるのですか?」
「……ちょっと喉が渇いただけ。大丈夫だから少し……そっとしておいて。」
そういうと彼女は、そうですか、おやすみなさい。とだけ言って、サツキさんの居る彼女の間借りしている部屋に入っていった。仲良くできるといいけど。まあ、イーファンならきっと大丈夫だろう。

 僕は海の家の玄関から外へ出た。ぼんやりとしているとすぐに寒さがカーデガン越しに体にしみこんできた。昼間はあんなに乾いていたのに、暑かったのに……、……。
 何かポジティブなことを考えたいと思った。
 何も思い浮かばなかった。
 消えたくなった。
 ふと、後ろでガシャンと音が鳴り、海野家の玄関扉から誰かが出て来た。
「風邪ひきますよ、羽冠さん。」
クリス氏だった。見に来てくれたらしい。
「光でいいよ。」
「そういうわけには……一応、立場があるんでね。」
「そんなら僕も『立場カード』を切るけど。」
そんな、外交じゃないんですから。とクリス氏は呆れているがやがて僕の隣にやってきた。
「きれいな湖だね。夜になっても月明かりでよく見える……なんの魚が居るのかな。」
「……魚は居ないと思う。」
「そうなの? なんでわかるの?」
「私は町長の秘書だから、色々な書類に目を通す。無論、水質調査についても知っている。」
「……鉱山由来の汚染?」
「おそらく。」
「そうなんだ……こんなに奇麗なのになあ……。」
クリス氏はふうとため息をついた。そして、うーんと伸びをする。
「少し落ち着いたように見えるけれども?」
「うん……風呂に入って自分の顔を見たらあまりにも酷くてびっくりして我に返った。」
「あれだけ色々あれば、そんな顔にもなるんじゃ?」
「……そうかも……。」
僕はふと顔を上げ、クリス氏にそのまま質問をする。
「この家ってプリンターはある?」
「あるけど、古いよ。ケーブルでつながなきゃいけないし、そももそもインクがないし……どうして?」
「海野先生に小説見せるって言ったのに、印刷できない……。」
「本気で書くつもりだったのか?」
「うう、ど、どうしよう」
クリス氏は慌てはじめる僕の肩に手を置いて落ち着かせる。慣れた手つきだった。
「あーじゃあ、私が学生の時に使ってたレポート用紙なら沢山あるから、パソコンで書いて書き写せばいいよ。」
「時間かかる!」
「どうせ急ぎの旅じゃあないんだろ?」
「そ……そうかな……そうかも……。」
レポート用紙をあげるよ。と言われ、僕はクリス氏と一緒に家へ戻った。今日は疲れているだろうから書くのなら明日からにしなよ。と言われ、僕はまたうんと頷いた。
 僕の部屋は自分のアパートに比べるととても狭くて、すごく落ち着かない。けれどクローゼットと小さな机とベッドはあって、滞在するには十分そうだった。僕は荷物を開くと小さなデスクに死守して持ってきたノートパソコンを広げる。はあ、とため息をついているとクリス氏がニコニコ笑顔で筆記用具とありったけのレポート用紙を持ってきてくれた。
「ほら。まだ書ける。」
悪魔みたいな笑顔だと思った。このデジタルの時代に、まじか。
「……あ、ありがとう。」
「頑張りな。じゃ、おやすみ。」
そう言ってクリス氏は部屋を出ていった。僕は大量の用紙の横でふと考えた。
 で、何を書けばいいのだろう。
 冷や汗がダラダラ流れてきた。
 
 それから、居候しながらの僕の執筆生活が始まった。
 この海野家の人たちは働き者だ。海野先生は自営業の電気屋さんをやっているって言いながら朝早く仕事を始め、軽トラで作業に出ていくし、クリス氏は朝から3人分のお弁当を作って皆に持たせてる。僕らが来てからは僕らの分も作ってくれる。それから町役場に働きに行く。サツキさんはガソリンスタンドで働いていると言って、朝から走って仕事に向かう。 
 一方僕らは何をしているかと言うと、イーファンは家の掃除とか買い出しとか色々引き受けますと自分で言ったみたいで、手始めに家をピカピカにしていた。まるで家政婦さんだ。
「……ちょっとまって、これじゃあ僕がプータローみたいじゃん!」
「光さん、ちょっと足退けてください。」
イーファンは勝手に僕の間借りしている部屋に入って来て僕の足の下に勝手に掃除機をかけていく。
「イーファン!」
「どうかされましたか?」
「僕、今日、何もしてないよ!」
「はぁ、といいますと?」
僕の話をとりあえずひとしきり聞いてくれたイーファンは、ふむふむとうなずいて、それから首をひねる。
「光さんは小説を書きたいのでは?」
「そ、そうだけどさ! なんか、いやじゃん!」
ふ、とイーファンが何か微笑んだ。いつもポーカーフェイスのイーファンが笑った、僕は驚いてしまう。環境はこんなにも人を変えるのか?
「光さんはご自身が出来ることをされればよいと思いますよ。」
そう言って、では続きがあるので。とイーファンは彼女の仕事に戻って行ってしまった。
 僕はまたノートパソコンと向かい合う。
 イーファン、何かあったのかな……。
 だめだ、心当たりしかなくて、わかんない……!

 そして、その晩。
 僕は机の上で干からびていた。
 バァン! と扉がノックも無しに開かれた。
「なにやってんの? お夕飯出来たってば!」
うるさいなあ……うーん……ううぅぅぅん……誰かがツカツカと机に寄って来るが、僕はそれどころではない。
「うわ~! なんか、全体的に真っ白ね!」
「……けない……。」
「ん?」
「書けないよ~!」
僕はおもむろに縋りつく。それから、時々イーファンにしているようにぐりぐりとする。
「無理だよぉどうすんだよぉ僕小説を書いた経験がないからさぁ! 故にどこから手を付けたらいいのかわからない、あと元来集中力もたいしてない、そもそも圧倒的に小説そのものを読んだ経験が少ない! あーん! おしまいだよぉこんなんでどうやって~?! 小説ってどうやるの~?!」
ぴえん、といつもイーファンの前でかわいこぶってるように抱き着いたまま顔を上げて、僕はサーッと血の気が引いていくのを感じた。
 あ、あ、あぉ……おわった……終わった……、これ、イーファンじゃなくてサツキさんやぁん……そーっと離れようとする僕だったが、ふとなんだかよくわからない顔で僕を眺めていたサツキさんに頭に手を置かれた。そしてナデナデされる。「よしよし。」とか言ってるし!
 僕が固まっていると、サツキさんも一緒に「それは確かにどうしたらいいんだろう。」と考え始める。そうだけどそうじゃねえ……! そうだけどそうじゃねえ……!
「お兄ちゃんに聞いてみたら? お兄ちゃんは頭が良いのよ。」
「ど、どうしよっかなあ、アハハ……、」
「呼びました?」
びっくりしてまた僕は硬直する。あああ、とか言いながら入口を見るとクリス氏がニコニコしながら入口で腕を組んでいた。あッ、笑ってるけど笑ってない、やべえ……今度こそ終わった……、と僕はサツキさんから離れる。背中から飛んでくる刺すような視線が痛い。机の上のマグカップの中のお茶を飲み、ごまかそうとする。ゴクゴク……。
「ねえ、お兄ちゃんはよく小説を読んでたわよね、おっぱいがでっかい女の子がたくさん出てくる小説!」
僕は思いっきりお茶を拭きだした。咳き込んでしまう。サツキさんが心配してくれるが、ビックリして、本当に気管に入るかと思った。
「大丈夫?」
「……サツキちゃん……ほんと勘弁して……。」
「でも読んでたじゃない、あの小説は、なんか絵がよかったわ。確かタイトルは、」
「言わなくていいです!」クリス氏は少し赤くなって止めた。「とりあえずご飯を食べますよ、二人とも!」

つづく

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